出版社内容情報
1954年3月,ビキニ環礁での米国の水爆実験で被災したマグロ漁船の乗組員は,どんな運命を辿ったのか.原水爆禁止を求め立ち上がった人々,置き去りにされた現地.新資料も踏まえて大事件の歴史的意味を問い直す.
内容説明
東京都江東区の「夢の島公園」は、その後に開発された若者たちの人気スポットである「お台場」と、千葉方面の葛西臨海水族園、ディズニーランドにはさまれた新木場にある。この公園内のマリーナに続く広場に、東京都立第五福竜丸展示館が立っている。外観は、百科事典の背表紙を上にして立てたような独特な形をしている。第五福竜丸。この船は、一九五四(昭和二九)年三月一日、アメリカが行った水爆実験による「死の灰」(放射性降下物)をあびた。いわゆるビキニ事件、第五福竜丸事件として日本中を驚かせた。死の灰はマーシャル諸島の人々の上にも降りそそいだ。たくさんの人々が、健康を、生活を、そして島を奪われた。それから五〇年経った今も、この事件は解決したとはいえない。一九四七年和歌山県で建造され、長年の歴史を刻んだ一四〇トンの木造船はどっしりと重量感があり、新しい展示パネルに取り囲まれていると、その古さがひときわ目立つ。なぜ、このような船が東京のこの場所に保存、展示されているのだろうか、ビキニ事件とは何であったのだろうか、福竜丸の航跡をたどりながら一緒に考えてみよう。
目次
一九五四年三月一日
「放射能はごめんだ」という声が高まる
乗組員たちの闘病と補償
マーシャル諸島の核被害
科学者はどう貢献したか
第五福竜丸はいまだ航海中
著者等紹介
川崎昭一郎[カワサキショウイチロウ]
1932年東京に生まれ、東京大学理学部物理学科を卒業、修士・博士課程に進み理学博士を取得。専攻分野は素粒子と場の理論、重力の量子論。長年千葉大学で研究教育に携わり、理学部長を務め、現在は千葉大学名誉教授。ビキニ事件は大学三年生のときに起こった。学生・現職研究者・リタイア後の各時期を通して「科学者の社会的責任」に基づき平和と核軍縮の活動、内外の科学者諸会議に積極的に参加。1977年NGO被爆問題国際シンポジウムでは事務局長。第五福竜丸の保存運動にも当初より参画、1991年2月に財団法人第五福竜丸平和協会会長に就任、現在に至る
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