出版社内容情報
ふたたび「古典の中の古典」と出会う――ギリシア語原典に忠実であることを目指した新鮮な訳文が,新約聖書の魅力と謎とに新しい光を投げる.読みの道しるべとして脚注や挿図を付した,画期的な日本語訳の登場.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きゃんたか
19
聖書の面白い所は、たとえその内容が言及されている筆者のものとは違う偽書だとしても、該当する書巻の正典性は保証される、ということだ。もしそこで正当性が問われるとするなら、偽書だという理由でその歴史的価値は失われてしまうだろう。律法や終末論というユダヤ人特有の思想が薄れ、キリスト教がヘレニズム文化へと広がっていくうち、その様式も市民的良心に膾炙するものへと変わっていったのである。受容方法の変遷は世界宗教の宿命とも言える。変わりゆくものを受け入れ、変わらざるものを固守する時、信仰は初めてその真価が問われるのだ。2017/04/30
yuui02
3
偽書。解説から参考。パウロが律法を守ることができない人間の側の無能力性を批判し、律法ではなく律法主義を否定したのに対し、第二パウロは律法の無効性を訴える。律法は正しいもののためにではなく、無法者のためにあり、無法者に何が義であるか教えるために必要であり、使徒パウロから受け継いだ思想に忠実にしたがっている者には必要ないという立場。イエスよりパウロということか。ヨハネの黙示録は読んでてよくわからなかったけど、獣はローマ帝国とその皇帝(頭)およびその属国の王達(角)を象徴しているという。2016/05/21
Fumitaka
1
黙示録については有名なのでさて置くとして、自分の趣味的に印象に残ったのは、『ユダの手紙』のグノーシス主義者攻撃の様なくだり。『テモテへの第一の手紙』第六章第20節にも登場するが。しかし『ユダ~』の面白い点は、悪いことした天使が鎖で縛られているという、エチオピア語エノク書っぽい記述がある。これは偽典とか外典に属する本で、グノーシス派を「異端」として排撃する「正統」派の側でさえこの様である。純粋とは何だろうか? 「政治的な場において、純粋などというものは存在しない」(М・ドラホマーノフ)。2019/12/13
わきち@肩書きは妄想家
0
図書館レンタル2014/03/22