出版社内容情報
人間の連帯は,他者が被る残酷さへの感性,想像力を拡張することで達成されるべき目標なのだ.20世紀の代表的哲学者が,ありうべき社会はいかに構想されるかという課題に,リベラル・ユートピアの可能性の提示をもって応える.
内容説明
人間の連帯は、真理の哲学的な探求によっては不可能である。他者が被る残酷さに対する私たちの感性を拡張することによって、連帯は達成されるのだ。20世紀後半を代表する哲学者が、ありうべき社会はいかに構想されるかという課題を、永遠に自由を実現してゆく終わりなき過程である「リベラル・ユートピア」として描き直す。世界中に大きなセンセーションを巻き起こした「哲学と自然の鏡」の政治哲学的帰結―衝撃の問題作。
目次
第1部 偶然性(言語の偶然性;自己の偶然性;リベラルな共同体の偶然性)
第2部 アイロニズムと理論(私的なアイロニーとリベラルな希望;自己創造と自己を超えたものへのつながり―プルースト、ニーチェ、ハイデガー;アイロニストの理論から私的な引喩へ―デリダ)
第3部 残酷さと連帯(カスビームの床屋―残酷さを論じるナボコフ;ヨーロッパ最後の知識人―残酷さを論じるオーウェル;連帯)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
キク
58
「100分de名著」で知った。『文学やルポルタージュを使って他者への共感能力を育て「われわれ」という意識を拡張し続ける』すごい文章だ。成長とは、いや人生とは「どこまで【われわれ】という言葉に多くのものを含めるようになれるのか」ということなのかもしれない。多分、僕の「われわれ」という言葉に含めるものはすごく少ない。というか「われわれ」や「僕たち」という主語をほぼ使わない。いつも「僕」と「他者」という言葉を頭の中で使っている。なんか、いろいろ考えさせられた。2024/03/14
ころこ
38
「偶然性」「アイロニー」「連帯」を各3章ずつ論じていますが、これは、「言語」「個人」「社会」にそれぞれ当たります。最初の「偶然性」が何を論じているのか分からないと感じるかも知れません。その場合は、最後の章のから遡って読むことをお勧めします。リベラルとは残酷さについて考えることですが、世界が残酷なのではない、他人がし得ることが残酷なのだ。しかし本書の議論は、その上で人びとの連帯を可能にするのは、同一化ではないというところにあります。人々が同一の思考をして同一の価値観を持つと考えられたのは近代までであり、現在2021/01/20
CCC
11
私的領域と公的領域どちらも押さえた究極の真理を見つけられるという考え方を破棄し、すべての思想が偶然の産物であることを受け入れるアイロニストになること。そして残酷さを最悪のものと考えるリベラリストになることを薦めている。偶然性に重きを置き、信仰ではなく共感力を求め、根本的問題より個別的問題を重要視する姿勢は、個人的には共感しやすかった。オーウェル、ナボコフの副読本としても面白かった。特にナボコフの『ロリータ』は、自分が不感症な読み方をしていたのがわかったので、いつかは読み直したいと思った。2023/10/19
柳瀬敬二
11
人間の生を私的な生と公共的な生の2つに分割しようとする試みの中で、ローティはハイデガーらの旧来の哲学を文学、即ち形而上学性を否定し私的な自己創造の過程とみなす。プルーストとニーチェ、ナボコフとオーウェルという一見奇妙な対比を通じて私達は彼らが成し遂げた偉大な業績の真の姿を垣間見る。いかなる概念、思想も絶対的な正しさを持ち得ない現代社会では、哲学もその絶対性を失い単なるメタファーの集合体と化す。苦痛の軽減のみを公共社会の目標とし、西洋哲学の最終到達点である真理を放棄するこの本の姿勢は衝撃的だった。2016/04/15
白義
7
リベラル・アイロニストとしてのローティの代表作。自らのの無根拠さと偶然性を自覚する文化人モデルとしてのアイロニストがたっぷり描写され、それとリベラルがどう結び付くかを示しています。ローティのやってきたことは一貫していて、正しさとは何かとかいった思想的言語ゲームを放棄、我々感覚を広げていく公的リベラルと私的完成を目指すアイロニストを推奨、実践しているところ。各思想家、作家の読みは結構強引ですが分かりやすく明晰なのでぐいぐい読めていきます。哲学と自然の鏡とこれでローティは本格的に入れます2011/07/03