出版社内容情報
高校生の「僕」は,刑事の忠叔父さんとディケンズの小説『骨董屋』を読み進めていくうちに,とてつもない「事件」に巻きこまれてしまう.――人間の悪と罪,そして「ゆるし」,「癒し」とは何かを追究した大江文学の結晶.
内容説明
僕はオリエンテーリング部主将の高校生。ヴェテラン刑事の叔父さんとディケンズの小説を読み進めていくうちに、とてつもない事件にまき込まれてしまう…。人間性の悪と高貴さを描く感動の長編小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
佐島楓
53
私には、この作品は、著者の理が勝りすぎているように感じられた。大江作品をほとんど読んでいない者ゆえの感想である。2018/08/05
shinonishi.runner
11
#7日間ブックカバーチャレンジ 1988年。初めて、かつ現状唯一の大江作品。主人公は作者の次男がモデルとされる高校生。自分もやっていたオリエンテーリングというマイナーな部活という設定にひかれた(笑)。叔父さんと一緒にディケンズを原書で読み解き、謎の解明のために野山に入り、ある秘密に出会う。後半が当時では消化しきれなかった。再読で確認したい。なお、主人公のモデルとは、読んだ2年後に実際に会うことができました。2020/05/10
空箱零士
10
★★★★ 「現実」という言葉の手触り。例えば僕たちが物語に触れる時そこに一つの「現実」を見る。ディケンズの現実、あるいはドストエフスキーの現実、そして原の現実。それらは当然「読まれる」対象だ。僕たちは誰かの「現実」を「読んで」いる。そして「現実」は「読解」される。オーちゃんは果たしてディケンズの『骨董屋』の翻訳により始めて「読解」する立場となる。それを機縁として百恵や原の「現実」に触れ、ドストエフスキーの「物語」に触れ、父や叔父や文学者の「読解」に触れる。「現実」は無数に存在するといって過言はないだろう。2015/04/28
マサキ
8
新潮文庫に入ってる大江健三郎は学生時代に全部読んだけど、これは盲点。すっかり存在を忘れてました。「万延元年のフットボール」以降の流れを汲みつつ、高校生の僕を主人公にすることで、大江的オトナたちに他の作品とは違った光を当て、メタファーだらけの作品の風通しをよくし、爽やかな青春小説とさえ読める。円熟期大江健三郎の総括として、あるいは入り口として最適です。今買えるのは岩波文庫のみというのが惜しい。講談社でもう一度出して、もっと若者に手を取りやすくしてほしい。2019/05/14
かずりん
7
新聞書評で大江文学の初期の作品から入るとグイグイ引き込まれて虜になると勧められ図書館でみつける。万延元年のフットボールなどから入ったものだから難解でツマラナイ印象があった。でも大江氏の新たな面に出会えて興奮気味です。茶目っ気ユーモアがありみずみずしさに溢れホッとしています。2023/05/09