若き一読書人の思想の遍歴―戦争の時代(1937~1946)

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若き一読書人の思想の遍歴―戦争の時代(1937~1946)

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  • サイズ B6判/ページ数 396p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784874983324
  • NDC分類 019.04
  • Cコード C0010

内容説明

日中戦争から太平洋戦争へ、すべての学生が戦場への道を宿命づけられていた時代、詩人の感性をもつ一青年は、どんな本を読み、どんな文学者・思想家に心を惹かれたのか―。読書でたどる一青年の精神史。

目次

1 日中戦争の頃―17~19歳(少年の理想主義と佐藤紅緑―「農民芸術概論」との出会い;教師・賢治に学ぶ ほか)
2 アジア太平洋戦争へ―20~23歳(第二次世界大戦勃発の頃―「紀元二六〇〇年祭」の年;萩原朔太郎『日本への回帰』―詩人朔太郎の悲劇 ほか)
3 帝国陸軍の内側で―23~25歳(東部第三部隊入隊 初年兵哀歌;転生の時 兵営からの報告―転身雑感 ほか)
4 敗戦直後・虚無と絶望の底で―25~26歳(『正法眼蔵随聞記』を読む;三木清・その死 ほか)

著者等紹介

栗原克丸[クリハラカツマル]
1919(大正8)年、埼玉県比企郡福田村(現滑川町)に生まれる。埼玉県立松山中学校(現松山高校)卒業後、東京高等師範学校(現筑波大学の前身)に入学、1942(昭和17)年9月、繰上げ卒業と同時に応召、3年間の軍隊勤務の後、敗戦で復員。1946(昭和21)年10月より、埼玉県立小川高校に勤務、1985(昭和60)年3月に退職。この間、学校図書館運動に力を注ぎ、埼玉県高校図書館研究会会長、埼玉県図書館協会副会長、全国学校図書館協議会提言委員会委員長等を歴任する。退職後の86年「冬扇社」を設立、『冬扇通信』を発行。淑徳短期大学講師、大東文化大学講師、丸木美術館理事を務める。2002年没。『冬扇通信』は85号(追悼号)をもって終刊
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感想・レビュー

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Midori Nozawa

7
本当に満たされた読書でした。栗原先生は高校時代に教わったのに、本書を読むまで知らなかったことが沢山あった。繰り上げ卒業で太平洋戦争に応召し、3年間の軍務の間に得た戦友、散らした命。魚肉も食べられない「弱くやさしい」人間栗原先生は、皇国史観の戦争を疑わず協力していたが、戦後反省もなくぬくぬくと国のトップに戻った人たちに激しく問う。書名は膨大で、作家思想家名も実に膨大でした。高校時代文化講演会で松島栄一氏、羽仁進氏、加藤登紀子氏など先生は招いてくださった。わが校はパスカル「人間は考える葦である」を校歌に持つ。2020/08/17

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