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シリーズ〈古代史の探求〉
太宰府は日本の首都だった―理化学と「証言」が明かす古代史

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  • サイズ A5判/ページ数 266p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784623032389
  • NDC分類 210.3
  • Cコード C0321

出版社内容情報

【内容】
九州の弥生、古墳時代は、近畿よりもはるかに古い。理化学的測定値と数々の史書の記述をもとに、古代史の常識を覆し、見直しを迫る。

【目次】
常識覆す年代測定値
2. 太宰府のなぞ
3. 盗用の史書
4. 倭の五王
5. 水城と山城
6. 法隆寺に化けた観世音寺
7. 天子と大王の墳墓

付録 測定値一覧
おわりに

内容説明

九州の弥生、古墳時代は、近畿よりもはるかに古い。本書は、理化学的測定値と数々の史書の記述をもとに、古代史の常識を覆し、見直しを迫る。

目次

第1章 常識覆す年代測定値
第2章 太宰府のなぞ
第3章 盗用の史書
第4章 倭の五王
第5章 水城と山城
第6章 法隆寺に化けた観世音寺
第7章 天子と大王の墳墓

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

aki

0
そもそも「太宰」は「天子を補佐して政(まつりごと)を司る人物」のことだ。後の「左大臣」「太政大臣」にあたる。太宰府は太宰がいるところ。ということは太宰は天子の近くにいるわけだから(天子が大和にいて太宰が九州にいるということはありえない)、天子も九州にいたんだろうね。つまり「倭国」は九州にあったわけだ。実際、「漢委土國王」の金印は博多湾岸で発見されたし、弥生時代の硯や絹も九州での出土例が一番多い。虚心に史料と遺物に目を向ければ倭国=北部九州は疑いようがない、という結論が導き出される。2006/01/25

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