内容説明
東京のアパートの一室にたった一人で「テンプスタッフ」と書いた小さな看板を掲げたのは、三十八歳のときだった。まだ「人材派遣」という言葉も法律もなかった。人材派遣ビジネスを始めて40年、業界屈指の企業を育て上げた型破りな人生を語る。
目次
第1部 私の履歴書(最初の記憶;終戦前後;高木学園;就職;最初の縁談 ほか)
第2部 社員たちの備忘録(阪神・淡路大震災―一九九五年一月十七日;社長の営業同行―一九九四年;「篠原学園」開設のころ、そしてこれから―二〇〇七年;経営のイロハを学んだ―二〇〇〇年ごろ;失敗から学ぶ―二〇〇六年 ほか)
著者等紹介
篠原欣子[シノハラヨシコ]
1953年高木学園女子高等学校卒業後、三菱重工業(株)入社。1957年東洋電業(株)入社。34歳で英語力向上のため、スイス・イギリスへ留学。一旦帰国するものの更なる英語力向上のため単身、オーストラリアへ渡り、現地マーケティング会社「PRSA社」に社長秘書として入社、帰国後1973年、38歳で人材派遣会社「テンプスタッフ(株)」設立。現在、テンプホールディングス(株)・テンプスタッフ(株)代表取締役会長を務める。2000年からアメリカ・フォーチュン誌「世界最強の女性経営者50人」に12年連続で選出(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
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読書家のしょーた
5
人材業界2位の会社、現パーソルテンプスタッフの創業者、篠原欣子さんの自伝。自分自身パーソルグループのある会社で就業していた経験があるため、興味があり読んでみました。日本では認知の低かった派遣事業を当時女性社長が珍しい時代に始め、拡大していったのは並大抵のことではない様に思えました。経営目線で見ると、顧客志向かつ働くスタッフを同列で大切にする姿勢や、多様性を重視することの大切さを学べました。2024/02/12
shokenmori
0
日経新聞「私の履歴書篠原欣子」の単行本。もう一度読みたくなってマーケットプレイスで購入。2017/03/02
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