内容説明
19世紀、日本の西欧文明受容は、幕末長崎での海軍・造機・医学の伝習で頂点に達する。長崎奉行・水野忠徳の海軍創設構想の下、長崎に参集した幕府、佐賀藩および諸藩の伝習生たちは、オランダ教師団との文化ギャップをいかに乗り越え、咸臨丸の遠洋航海に槽ぎつけたか。本書は伝習生の構成・顔触れ、伝習期間、伝習教科、伝習所の日々の生活、咸臨丸の遠洋航海等を、西欧のネイバル・ルネッサンスを背景に、つぶさに活写する。
目次
海軍伝習所設立にいたるまで
日本人伝習生の構成とその顔触れ
オランダ教師団の構成と科目分担およびその内容・程度
長崎海軍伝習所の日々
咸臨丸の遠洋航海
19世紀のネイバル・ルネッサンス
幕府海軍のその後
明治の科学技術近代化の核となったオランダ海軍伝習
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ジュンジュン
10
長崎海軍伝習所は僅か4年(1855-59)の活動期間ながら、その後に与えた影響は思いのほか大きかった。人材を育てるには時間がかかる。急遽幕府を引き継いだ明治新政府にとって、伝習所出身者はつなぎとして最適だった。概ね明治10年代まで活躍し、以後は明治政府自前の人材に席を譲る。海軍、鉄道敷設、造船、天文台、気象台、数学教育など活動は多岐にわたる。一つだけ気になる点を。それは勝海舟の評価。その無能ぶりを示すエピソードを随所に散りばめる。仮にそうだったとしても、行間から悪意を感じたのは気のせいだろうか?2023/06/14
転天堂
2
敗者の側のため、あまり顧みられることのない幕府の軍制改革。中途半端に終わってしまった長崎海軍伝習所について、コンパクトにまとめている。勝海舟について評価が大変厳しいのは、旧海軍の人から見てあまり適当なことを吹聴されたとの思いが強いからである。2022/06/10
KTakahashi
0
貴重な資料として読ませていただきました。2023/01/10