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和書人魚の嘆き・魔術師中公文庫

「魔術師」には大いに魅せられた。谷崎は…

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「魔術師」には大いに魅せられた。谷崎は「メスメリズム」と言う表現を使っている。動物の体内磁気を研究していた独の医師、メスメルに由来することばで、催眠術の意味になった。魔術師は物語に登場する謎の人物だが、読者は、谷崎潤一郎という小説の魔術師に、この短編小説を読み始めた段階で、意識を操れることになる。
　舞台は浅草のような場所。十二階がそびえていた時代だ。時は初夏の夕べ。若い恋人同士がそぞろ歩きで、うす暗い場所にある魔術師の小屋へ足を踏み入れることになる。
　そこで目にするのは、人が魔術師によって物や動物に変身してしまう奇術だった。そして、彼等自身も、半羊神（パン）に姿を変えてしまう。
　単純な展開の怪奇・幻想小説だが、奥は深い。主人公達が目撃する園芸術に対するポーの「アルンハイムの領地」と「ランダアの小屋」との対比とベックリンが描いた「死の島」の印象との相似は、意味深長だ。
　読み終えた後は、乱歩の「パノラマ島奇談」や「押絵と旅する男」を思い出した。さらに、関東大震災前の浅草の禍々しさからは、荒俣宏の『帝都物語』と小野不由美の『東亰異聞』の世界へ戻ることになる。
　短時間の読書にもかかわらず、意識は、過去へ戻ると同時に、新たに似たような怪異譚を探すために疼き始めた。この恍惚から覚めたくないのだ。
　作者の想像によるまやかしの物語。しかし、「幻想」は決して現実にないことではない。精神分析医の河合隼雄が言うように「幻想は現実に関係している」（『中空構造日本の深層』中公文庫）のだ。谷崎が紡いだ悪夢が根を伸ばし、文学・芸術作品と無意識の中で絡んでいく。そして、気がつけば生い茂る書物の森が意識できるようになり、そこを夢見心地で逍遥している自分自身と出会うことになる。これこそが、読書が魔術たる所以だろう。

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