著者ベンヤミンは『パサージュ論』(全5巻、岩波文庫)で著名なドイツ生まれのユダヤ人思想家・哲学者。本書は、この分野で有名な「写真小史」を含む『写真論集』で、掲載された写真の作品論というよりも、技術的な視点からの記述もある1930年代における「写真」の文化・芸術的な意義を論述した歴史的な記録。自分自身は写真を撮らなかったらしいので、写真家が撮った多くの画像をとおしての論考だ。 例えば、ダゲレオタイプの分かりやすい解説は、科学技術史的な観点から重要である。また、「神の姿に似せて想像された人間の像は、人間が作った機械ではとらえることができない」という当時の写真技術への懐疑的な見解を読むと、キリスト教に根差す人々の思想を伺うことができる。 著者自身の論述に加え、英語版の翻訳者の補足説明が掲載されているので、出版当時の状況等も分かる編集になっている。ベンヤミンが幼年時代から祖母の影響で「絵葉書」の収集に夢中になっていたとの件は、客観的であるはずの写真に見え隠れする欲望を理解する上で有益な指摘になりそうだ。付随の「用語集」では、専門用語の説明や引用された写真家の紹介があり、理解が深まる。 個人的な印象に残ったのは、先ずは2枚の子どもの日本の七五三のような直立の肖像写真。ベンヤミン自身と著者が所有するカフカのものである。作家としての世界を見る視線の差異が、すでに幼少期の目に表れているように感じられる。 もう一つは、ヴィクトリア朝生まれの英国の舞台女優エレン・テリーの写真。16歳の時に撮影されたもので、Victorian Giants: The Birth of Art Photograph(コメント参照)にも掲載されている。 カメラ狂のルイス・キャロルもこの女性の写真を複数残しているが、雰囲気が違う。本書に掲載されたこの写真は、女性の写真家がとったものだからだろう。レンズを覗く行為は同じであっても、被写体の姿勢や表情に注文をつける意識に男女差がでるのかもしれない。 異なった人物写真が表象化するそれぞれの「オーラ」を対照視することで、作品としての差異と相似を具象化できそうだとうことに気がついた。