創業90年のご挨拶

代表取締役会長兼社長 高井昌史

皆様の温かいご支援ご厚情に支えていただき、このたび弊社は創業90年を迎えることができ、誠にありがとうございます。

弊社の創業は昭和2年。現在の東京・新宿三丁目に、当時21歳だった田辺茂一が、江戸時代から続く家業の薪炭問屋に替えて、子どもの頃からの夢であった書店を創業いたしました。田辺は、書店の経営にとどまらず、作家の舟橋聖一氏をはじめとする文化人と広く交流し、数々の文芸雑誌や美術評論雑誌を創刊するなど、文化・芸術に対する情熱をいかんなく発揮しました。
昭和20年には空襲を受け、店舗を焼失したものの、昭和22年には日本を代表する建築家・前川國男氏の設計で新店舗を竣工し、その建物は「戦後書店建築の白眉」と高く評価されました。前川國男氏との縁はその後も続き、昭和39年には前川氏が設計を担当し、新宿本店・紀伊國屋ホールが入る紀伊國屋ビルディングが竣工しました。紀伊國屋ビルディングは、地域のランドマークとしての役割を果たしているなど東京都の景観づくりにおいて重要であるとの評価を受け、先ごろ東京都選定歴史的建造物に選んでいただきました。

弊社は、店舗での販売、法人への営業、海外での展開を「三本の柱」として、経営を続けて参りました。

昭和39年の紀伊國屋ビルディング竣工時に、新宿本店を480坪の売場面積でスタートしたことは書店の大型化の先駆けと見なされ、昭和44年に大阪に開店した梅田店、現在の梅田本店の成功は、全国に店舗を展開する契機となりました。その後も積極的な展開は続いており、今年はエブリイ津高店、天神イムズ店、イトーヨーカドー木場店の3店を新規に開店し、弊社の店舗網は現在、北海道から鹿児島県まで71店に上っております。

弊社は昭和25年から洋書の輸入を開始し、全国の大学や図書館をはじめとする研究機関・教育機関とのお取引に尽力して参りました。その後、お取引先のご要望にきめ細かく対応するため、和洋書籍・雑誌の販売に加え、データベースや設備・システム、さらには各種業務の受託まで、提供する商品・サービスの幅を広げ、学術情報の円滑な流通、そして、より魅力的な大学づくり・図書館づくりへ貢献できるよう日々努力を続けております。

弊社の海外展開は、昭和44年のサンフランシスコ店の開店に始まります。アメリカに続いて、シンガポールなどアジア太平洋地域にも店舗を展開して参りましたが、常に順風満帆というわけにはいきませんでした。しかし、他の日本の小売業が見切りをつけて撤退する中でも、品ぞろえを日本企業の駐在員向けの日本語書籍から、現地のお客様向けの洋書に切り替えるなど、弊社は地道な努力を重ね、粘り強く経営を続けて参りました。その結果、現在では9か国、30店の店舗網を構築し、好業績を上げるまでに成長しております。

「三本の柱」である店舗・営業・海外は、いずれかの部門が苦境にある時代には他の部門がそれを支え、安定的な経営に寄与してきたのです。

また、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』や『トーマス・マン日記』といった良書の刊行、「新劇の甲子園」との名声をいただく紀伊國屋ホールなど劇場の運営、新しい芸術創造の進展への寄与を目的とした紀伊國屋演劇賞の制定、ホール落語の代表と目される「紀伊國屋寄席」の開催など、直接的には収益を上げることはない文化的事業にも、弊社は力を注いで参りました。創業当時から綿々と続く、こうした弊社の取組があったからこそ、多くの方々に「紀伊國屋書店ブランド」を評価いただいている現在につながっているのだと、自負しております。

私は先日、雑誌の取材を受け、「ネット書店での書籍販売が伸び続けている中、なぜリアル書店を出店するのか」という質問に対し、次のように答えました。「書店がなければ、困る人が確実に存在する。そして書店には書店ならではの魅力がある。ネット書店で、ピンポイントで本を買う人が増えているが、書店で本との出会いを求めている読者も大勢いる。そのための場所を作っていかなければならない」。これこそが、書店の経営者としての、私の偽らざる思いであり、紀伊國屋書店の社長を受け継ぐ者の使命であると考えます。

弊社は創業以来、書籍の販売を通して、文化・芸術・情報の発信拠点となるべく、経営を続けて参りました。これからも創業者・田辺茂一の精神、そしてDNAを受け継ぎ、10年後に控える創業100年を目指すとともに、日本の、そして世界の文化的発展に寄与すべく、役員・社員一同、力を尽くして参りますので、今後とも変わらぬ、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

平成29年5月
株式会社紀伊國屋書店 代表取締役会長兼社長 高井昌史