内容説明
「あの戦争」に敗れたドイツと日本において,知識人や大衆はファシズムとどう向き合ったのか.その過ちを繰り返さないために,私たちはいま何を学ぶべきか.混迷の21世紀を生き抜くために不可欠なのは,バックミラーを覗きながら前進する「メディア史的思考」──.いま一度〈戦争の世紀〉を問い直すための,最良のブックガイド.
目次
はじめに――公共性の試金石としての書評
Ⅰ 「ヒトラーの世紀」を読む
《国民社会主義》の運動と体制
全体主義的国民主義か、自由主義的国民主義か
ヨハン.G.フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』
国民統合をめざす「新しい政治」の系譜学
ジョージ.L.モッセ『大衆の国民化――ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化』
労働者はサンタクロースだったか
エーリッヒ・フロム『ワイマールからヒトラーへ――第二次大戦前のドイツの労働者とホワイトカラー』
大戦前夜、普通の人びとの実感
フレデリック・テイラー『一九三九年――誰も望まなかった戦争』
《最終的解決》の構想と記憶
最大級の能率問題としてのホロコースト
ラウル・ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』
絶滅型反ユダヤ主義の原典なのか
アドルフ・ヒトラー『わが闘争』
超越的シンボルとしての「ユダヤ人」
ヴィクトール・クレムペラー『第三帝国の言語〈LTI〉――ある言語学者のノート』
強制収容所は特殊な空間だったか
オイゲン・コーゴン『SS国家――ドイツ強制収容所のシステム』
囚人も看守も人間だったということ
ヴィクトール.E.フランクル『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』
「人間的な虐殺」を目指した穏やかなナチ・エリート
ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』
戦闘が終わり、記憶の戦争が始まる
プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』
再生産される差別の重層性
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』
シオニズムと「アウシュヴィッツの 」
アイザック・ドイッチャー『非ユダヤ的ユダヤ人』
ナチ・イメージのポリティックス
絶対悪イメージの賞味期限
ズビニェク・ゼーマン『ヒトラーをやじり倒せ――第三帝国のカリカチュア』
自己破壊に至るカリスマ支配
イアン・カーショー『ヒトラー 権力の本質』
大衆小説における鉤十字の氾濫
アルヴィン.H.ローゼンフェルド『イメージのなかのヒトラー』
アドルフならぬ「アイドル」ヒトラー
田野大輔『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』
独裁体制が演出した「平和の祭典」
D.C.ラージ『ベルリン・オリンピック一九三六――ナチの競技』
図書館はホロコースト否定文献をどう扱うべきか?
W.A.ウィーガンド編『《図書館の権利宣言》を論じる』
現代に生きるナチズム
プロパガンディストは敵との鏡像関係を恐れない
星乃治彦『赤いゲッベルス――ミュンツェンベルクとその時代』
総統とメディア共犯関係
ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』
グローバルな異文化コミュニケーションの黒歴史
ジェフリー・ハーフ『ナチのプロパガンダとアラブ世界』
ヒトラーへの視線はどう変化したか
芝健介『ヒトラー――虚像の独裁者』
Ⅱ 日本の戦争と知識人
近代化と現代化
被害者モデルの言論弾圧史観から共犯者モデルの言論統制史観へ
文春新書編『昭和史がわかるブックガイド』
非常時の中にもあった民主主義
有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』
戦後民主主義におけるワイマール・トラウマ
加藤哲郎『ワイマール期ベルリンの日本人――洋行知識人の反帝ネットワーク』
「グローバリズム」を訳して「八紘一宇」
井上寿一『戦前日本の「グローバリズム」』
戦争「消費者」たちの文化実践
ベンジャミン・ウチヤマ『日本のカーニバル戦争――総力戦下の大衆文化 1937-1945』
総力戦体制がもたらしたシステム社会化
山之内靖/J.ヴィクター・コシュマン/成田龍一編『総力戦と現代化』
「解放」個人主義と「引締め」国民主義の対立が引き寄せた開戦
益田肇『人びとの社会戦争――日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』
大衆参加で機能した神話国家・日本
辻田真佐憲『「戦前」の正体――愛国と神話の日本近現代史』
戦争の語り口
林芙美子の「戦線」と「植民地」――朝日新聞社の報国と陸軍省の報道
林芙美子『戦線』
戦時プロパガンダの女性像は魅力的だったか?
若桑みどり『戦争がつくる女性像――第二次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』
国民を動員するワンフレーズの「新しい伝統」
筑紫磐井『標語誕生! ――大衆を動かす力』
「桜」と「特攻」のシンボル政治学
大貫恵美子『ねじ曲げられた桜――美意識と軍国主義』
戦争は画家の制作意欲を煽ったか
針生一郎/椹木野衣/蔵屋美香/河田明久/平瀬礼太/大谷省吾編
『戦争と美術 一九三七――一九四五』
兵士たちの目に映った戦争心性史
一ノ瀬俊也『戦場に舞ったビラ――伝単で読み直す太平洋戦争』
他人の死から深い感銘をうけてよいか
福間良明『越境する近代3 殉国と反逆――「特攻」の語りの戦後史』
実験国家で躍った昭和戦前の群像劇
平山周吉『満洲国グランドホテル』
戦争民主主義と「新しい生活様式」の高揚感
大塚英志『「暮し」のファシズム――戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』
「戦前型ポピュリズム」という視点から
筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム――昭和史から見る現代日本』
知識人の戦争
自らファシストになる可能性を心に留めた思想研究
思想の科学研究会編『共同研究 転向』
過去なく未来なく、ただ現在の生成のみ
片山杜秀『近代日本の右翼思想』
「世界史的立場」と「世界文化単位」の国内思想戦
植村和秀『「日本」への問いをめぐる闘争――京都学派と原理日本社』
元言論報国会会長は天皇も国民も批判した
徳富蘇峰『徳富蘇峰 終戦後日記――頑蘇夢物語』
戦時体制に不可欠だった国際人
川崎賢子/原田健一『岡田桑三 映像の世紀――グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』
パートタイム的政治参加に踏みとどまる知性
苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』
“戦前=戦後”に向き合うグローバルな視座
三輪公忠『日本・一九四五年の視点』
軍国主義と平和主義、二つの孤立主義
細谷雄一『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か――日露戦争からアジア太平洋戦争まで』
Ⅲ 戦争のメディア史
メディア・リテラシーを磨く
近代日本の持続低音としての戦時歌謡
戸ノ下達也『越境する近代5 音楽を動員せよ――統制と娯楽の十五年戦争』
「内なるアメリカ」と帝国日本の連続性
吉見俊哉『親米と反米――戦後日本の政治的無意識』
戦時下で高まるレジャー熱の記録
青木宏一郎『軍国昭和 東京庶民の楽しみ』
大学実録“仁義なき戦い――関東死闘編”
竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像』
「占領期=戦時期」言論空間の連続性を読み解く資料集
山本武利編集代表『占領期雑誌資料大系 大衆文化編』
『陸軍画報』改め大衆娯楽雑誌『平凡』
塩澤幸登『「平凡」物語――めざせ百万部! 岩堀喜之助と雑誌「平凡」と清水達夫』
日本人は戦時下に“敵”を描くことができたのか
髙井ホアン『鬼畜米英漫画全集――戦時下の反アメリカ・イギリス的表象』
放送の「戦後民主主義」神話を実証的に解体
太田奈名子『占領期ラジオ放送と「マイクの開放」――支配を生む声、人間を生む肉声』
権力装置としてのメディア
言論弾圧史観に見直しを迫る実証的な新聞検閲システム形成史
中園裕『新聞検閲制度運用論』
新聞社が主体的に参加した総力戦体制
里見脩『新聞統合――戦時期におけるメディアと国家』
「写真報国」への自発性
白山眞理『〈報道写真〉と戦争――一九三〇――一九六〇』
「記念のメディア」を読む歴史家
キース・ロウ『戦争記念碑は物語る――第二次世界大戦の記憶に囚われて』
子供利用の軍民転換
サビーネ・フリューシュトゥック『「戦争ごっこ」の近現代史――児童文化と軍事思想』
戦争映画のリアリズムとモダニズム
大月功雄『戦争映画の誕生――帝国日本の映像文化史』
問い続けるために不可欠な記録と記憶
鈴木裕貴『落とされなかった原爆――投下候補地の戦後史』
「和服姿のヒトラー」――写真から自著を読み返す
佐藤卓己『流言のメディア史』
あとがき



