ちくまプリマー新書<br> 「わたし」が死ぬということの哲学

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ちくまプリマー新書
「わたし」が死ぬということの哲学

  • 著者名:兼本浩祐【著】
  • 価格 ¥1,012(本体¥920)
  • 筑摩書房(2026/04発売)
  • 夏至&父の日!Kinoppy 電子書籍・電子洋書 全点ポイント25倍キャンペーン(~6/21)
  • ポイント 225pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480685520

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内容説明

体、こころ、そして「自分」がなくなるとはどういうことか──「死」とは一体どのような事態なのか?
死ぬのは怖い──しかし、「体」が死ぬことと「こころ」が死ぬことは重なり合っていないのならいったい「死」とはどのような事態なのだろうか? 今ここにいて物事を感じている「自分」とは何か。生物学、意識科学、哲学を横断し、根源的な問いに迫る。
生きていることの根源に迫り、人間観が刷新される。

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【目次】

第一章 体が死ぬということ
1 生物の「死」の科学
2 体のあいまいな境界
3 関係の連なりとしての体

第二章 こころが死ぬということ
1 動物意識──起きていること
2 他動詞的意識──体験し、知覚する
3 通時的意識──一続きの「自分」

第三章 自分が死ぬということ
1 計ることのできる「快」と「死」
2 何が「私」を一続きにするのか
3 社会的死──ホモ・サケルであること

第四章 死への処方箋
1 尊厳療法と辞世の句
2 やってくるものと正岡子規
3 平気で死ぬことと平気で生きること

おわりに
文献一覧

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目次

はじめに/第一章 体が死ぬということ/1 生物の「死」の科学/細胞の死に方/体と同じように細胞は死ぬ運命にあるのか/有用な「能力」として進化の過程で獲得された「死」/不死化する細胞、寿命を規定する細胞/「死」というたがが外れると細胞は癌化する/樹木はなぜ、ときに桁外れに長寿なのか/2 体のあいまいな境界/ひとつの体が複数化する植物/複数の個体が融合する粘菌/木の身体の大部分は死んでいる/3 関係の連なりとしての体/多細胞生物の仕切りは細胞膜ではない/眼鏡や服は体の一部だろうか/共生する生き物同士は体の外か内か/「わたしと小鳥とすずと」とモナド論/働きかけによって因果関係が修正される存在/体の連続性は「関係」の連続性にある/巻き戻しがきかないほど乱雑になること/熱的死という終わりとその執行猶予としての体/散逸構造としての生命/刻々と再編される身体の境界/第二章 こころが死ぬということ/1 動物意識──起きていること/昏睡という状態/動物意識の解剖学/ばらばらに眠り始める脳/2 他動詞的意識──体験し、知覚する/意識を意識する「状態意識」/デカルトの「意識」は高階の思考か/意識があると外から観察して確かめるには/「意識」の歴史/表象とは「録画の再生」か「レシピをもとにした料理」か/注意したから感じるのか、感じたから注意が向くのか/クォリアとは何か/知覚直観をめぐるフッサールとハイデガーの論争/教師のいない学習モデルは可能か/個々の主観を橋渡しするコードとしての「言葉」/他動詞的意識に対応する脳の機能/意識を台風の目のようなものと考える/意識の原型とは何か/3 通時的意識──一続きの「自分」/体を取り換えた王子と靴磨きはどちらが「王子」なのか/機能が変わらないならそれは「同じ」なのか/脳をふたりに移植したらどうなるのか/意識が途切れるだけでは「自分」は途切れない/第三章 自分が死ぬということ/1 計ることのできる「快」と「死」/魂は存在しない/ばらばらの「私」を げる「形而上学的接着剤」/死の価値を値踏みするための幸せの総量/不死は死ぬほど退屈である/死ぬのはなぜ悪いことだと人は考えるのか/2 何が「私」を一続きにするのか/空間芋虫としての身体/時間芋虫としての人格/「私」を追い求めた20世紀/ベルクソンが考える「私」の連続性/柴崎友香さんの小説におけるばらばらの「私」/「ちゃんと」まとまること、小さな「大きな物語」/3 社会的死──ホモ・サケルであること/ き出しの生/三種類の「私」の同一性/サルトルが考える「存在」/他者が「私」の連続性を担保する/「私」は「私たち」から生ずるのか/「われ」に先行するのは「われわれ」か「おおやけ」か/ き出しの生は人間の根拠たりうるのか/物語と「私」であること/いじめは人をホモ・サケルにする/第四章 死への処方箋/1 尊厳療法と辞世の句/尊厳療法とはどのようなものか/「私」という物語のエンディングとしての辞世の句/死ぬ人が死を物語として語る/2 やってくるものと正岡子規/想像の外側からやってくる/森羅万象の細部に分け入る「写生」/「やってくるもの」と出会い続けること/3 平気で死ぬことと平気で生きること/すでにある状態でその目的が実現されている/きらきらと輝いて見える/おわりに/文献一覧

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

よっち

27
「わたし」が死ぬということはどういうことか。生物学、意識科学、哲学を横断し、根源的な問いを丁寧に掘り下げる1冊。体が死ぬこととこころが死ぬことは本当に同じ事態なのか。体・心・自己の境界を科学的に解き明かして、一人称の死という捉えどころのない現象に正面から向き合っていく内容で、生物学的な死の定義から意識のあり方や自己同一性の哲学的議論までを解説しながら、身近な死の恐怖と生きている実感を結びつけて、自分が消えるとはどういうことか、避けられない死を体感的に感じさせることで、生きることの根源を問い直していました。2026/05/06

pppともろー

4
「生き物としての死」ではなく「わたしとしての死」。意識と身体。このレーベルにしてはかなり難しい。2026/05/15

4
研究者や医者や哲学者の名前がいっぱい出てきます。難しかった。第三章からぐっとほぐれて読むことができたが、何かずっと高ーいところに放り投げられて、望遠鏡で話を覗かされているかのような…ちっさいのが見えたような…笑。 「私」という意識の発達の途上で「われわれ」は「われ」に先行しているのでは、という筋立てが面白かった。子育てで確かに、小動物が人間になってゆく過程を何度も見たから。2026/05/13

Go Extreme

2
👤自我の消滅:わたし=記憶+意識の連続性➡死=全データ消去 🧠脳と心:脳の活動=心(意識)⇔脳死=わたし(主観的世界)の完全な終焉 ⏳時間の限界:生=有限の時間⌛+可能性➡死=未来のゼロ化(可能性の拒絶) 🌌他者との関係:わたしの死=他者の世界から「不在」へ:残された人々の記憶へ移行 ☯️無の恐怖:死=痛みの持続マイナス(存在そのものの喪失)=究極の未知 🍃生の逆説:死を意識=生の輝き+意味の再構築:死=生を規定する境界線2026/06/09

Asakura Arata

2
これを読んでも、死の得体の知れなさや恐怖は解決しなかった。手荒く表現されているところが多くて、なんだかはぐらかされている感が残る。西洋的思考だとあれこれ手続きが多くて大変だ。2026/06/08

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