内容説明
稀代の仏教学者が追究した仏道の根本概念 その出発点にして到達点
他者へのあたたかな共感がここにある
友愛の念「慈」、哀憐の情「悲」。生きとし生けるものの苦しみを自らのものとする仏の心、そして呻きや苦しみを知る者のみが持つあらゆる人々への共感、慈悲。仏教の根本、あるいは仏そのものとされる最重要概念を精緻に分析、釈迦の思惟を探究し、仏教精神の社会的実践の出発点を提示する。仏教の真髄と現代的意義を鮮やかに描いた、仏教学不朽の書。
慈悲の実践はひとが自他不二の方向に向って行為的に動くことのうちに存する。それは個々の場合に自己をすてて他人を生かすことであるといってもよいであろう。(中略)それは個別的な場合に即して実現さるべきものであるが、しかも時間的・空間的限定を超えた永遠の意義をもって来る。それは宗教に基礎づけられた倫理的実践であるということができるであろう。かかる実践は、けだし容易ならぬものであり、凡夫の望み得べくもないことであるかもしれない。しかしいかにたどたどしくとも、光りを求めて微々たる歩みを進めることは、人生に真のよろこびをもたらすものとなるであろう。――<「結語」より>
※本書の原本は、1956年に平楽寺書店より刊行されました。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
TomohikoYoshida
21
今の時代、慈悲の心が求められているのではないか、と思って読んだ。仏教の基礎知識がない上に、様々な古い日本語表現(漢文の書き下し文など)の多様な表現を理解するのが難しかった。仏教の慈悲は、キリスト教の愛よりはるかに広く、生きているものへの一切の殺生は禁止、すべてが平等である。その、すべてのものへ対する利他行の実践が必要になってくる。そして、利他行を行う上では、報われることを求めてはならない。そういう意味で私の場合、完全な慈悲にはならないのだが、その心がけと実践により、自らの心が平穏であれば、と願う。2021/06/05
弥勒
15
仏教における慈悲の概念について考察されたもの。結語の要約にもあるように「慈悲とは自他不二の方向に向かって行為的に動くことのうちに存する」ものである。ともすると抽象的・観念的に堕しやすい慈悲は極めて具体的・実践的なものなのだ。しかも、キリスト教では「汝の敵を愛せよ」というのとは違い、自分も敵もなく、ただおなじ凡夫のみがあるだけで、他人を利することはすなわち自分も利することになるという。「自己を後にし他人の利を先にせよ」という岡潔さんの言もここからでてきたのだろう。慈悲は現世に必要な概念ではないかと思う。2015/08/05
ryohjin
13
仏教の中心思想である慈悲の精神について書かれています。仏教の歴史や地域、キリスト教との比較等様々な観点から、慈悲について考察されています。文献の引用が現代語訳でなかったり、仏教の基礎知識の不足から全体を理解するのは難しかったのですが、それでも慈悲について自分の中で関心をもつことには至りました。結語で著者は慈悲の実践とは「自己をすてて他人を生かすことである」とし、その実践は容易ではないが「光りを求めて微々たる歩みを進めることは、人生に真のよろこびをもたらすもの」と述べられており、そこに希望を感じました。2023/01/16
白義
13
仏教の倫理的側面のコアである慈悲の概念。仏教史に現れる慈悲の諸問題を深く掘り下げた労作だが、特に思想的に面白いのは空と慈悲の関係だろう。人の苦しみに共感し、それを救おうとする慈悲の心は一見、仏教の哲学的側面のコアである、相対主義的な空の思想とは相性が悪いと思われがちだが、実際はそうではない。むしろ自他の区別を虚構とする自他不二の境地へ導くのが空の概念であり、慈悲と空は互いを前提にすることでその純粋性を高めるのである。現代の読者にはどちらか片方だけが注目されがちな仏教の二極を見事に真芯で捉えた名解説だと思う2017/11/13
roughfractus02
11
パーリ語で他人の苦しみを思い(慈)、サンスクリットで苦を取り除くこと(悲)を表す2概念が一つに漢訳された「慈悲」は、小乗では敵を減らす実際的利益を得る考えとされ、大乗では他人の救済という中心教義となる。この自他不二の論理は、自己と他者の区別のない「無縁」(対象がない)の宇宙観、つまり空観において可能である。が、個に分ける考えが蔓延する現世では、慈悲は3段階化(衆生縁、法縁、無縁)される。本書は、キリスト教の愛や儒教の仁と慈悲を比較しつつ、万人に対する平等が自他不二のレベルで可能となる仏教的段階を提示する。2021/03/23
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