内容説明
キリスト教ではイエスの伝記を最重要視するのに、なぜ日本の仏教ではブッダの伝記が読まれないのか。ブッダがどのようにして悟りに至ったのかを身体を通して深く読む。筆者畢生の仏道修行と研究の精華!
キリスト教には「霊操」という、体操で身体を鍛えるように霊性を鍛えることを目的とする修業法がある(イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』岩波書店、教文館など)。イエスの生涯を、祈り、黙想、観想、口祷、念祷などを通して、自分の心身をかけて読み取る修業法である。本書は、ロヨラの「霊操」のごとく、ブッダが成道に至るまでのプロセスを、ブッダになりきって身読することを目標としている。(筆者)
【目次】
第一章 「仏伝」と「身読」をめぐって
第二章 「誕生」の身読
第三章 「四門出遊 出家の決意」の身読
第四章 「修行 禅定と苦行」の身読
第五章 「目覚め 樹下の打坐」の身読
第六章 「梵天勧請」の身読
あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
yutaro13
16
藤田一照師は、長く米国で禅を指導してきた曹洞宗の僧侶。『アップデートする仏教』などを読んで以来、現代人に向けて仏教を再解釈しようとする姿勢に共感している。本書でいう「身読」とは、仏伝文学として語られてきたブッダの生涯を、自らの人生に引き寄せて読み、教えを体得していくという試み。歴史的事実ではなく、宗教的な物語として仏伝を読む点が特徴。著者の仏伝解釈として楽しめるが、一方で、歴史的ブッダや原始仏教に関心の強い私には、ブッダが坐禅によって悟りに至ったといった曹洞宗的な解釈には違和感を覚えたのも事実。2026/06/27
owlsoul
10
仏教について、経典や研究書をいったん棚に置き、釈迦という人物の人生を自らが追体験するように読み解くこと(仏伝身読)によって、その成り立ちや本質を理解しようというのが本書の試みだ。残された言葉の解釈ではなく、伝わるエピソードを疑似体験することで、時代を超えた問題の本質を捉えようとする。釈迦が取り組んだ問題とは、havingではなくbeing、実体ではなく関係、方法ではなく存在であった。上座部仏教が釈迦の言葉を頼りにしているとすれば、大乗仏教は釈迦の人生からその在り方を学ぼうとしている、という説明は腑に落ちた2026/08/02
masanari
1
ブッダの生涯を通して、著者の考える仏教の核心に迫る。ブッダはなぜ出家したのか、なぜ苦行をやめたのか、なぜおかゆを受け取ったのか。基本的にはよく知られたブッダの前半生を描くが、著者ならではの解釈が面白かった。他者から差し出されるものを拒絶するのは独善的で閉じた苦行であって、開かれた修行は布施を拒まない。ブッダは供養を通じた交流によって、他者とつながるので「小乗」ではないという指摘はなるほどと思った。ちょっとカバーが怖い印象を受けた。誠実な本だがスピリチュアル系に見えなくもないのが残念。2026/07/28
hasebo
0
一人一人が自分の身と照らし合わせて体験する。それがブッダの伝えたかった仏教なのではないかと。2026/08/02
taq
0
ゴータマ・ブッダの生涯はよく語られているが、本書は一歩進んで、その意味を自分の身に引きつけて読むこと=身読を実践した書で、彼の生涯に起こった転機を、どういう悩みに突き当たって、何に気づきどう解決していったのかが、筆者の深い研究と実践に裏付けされた礎から読み解かれており、その結果これほどわかりやすく仏教の教えが説かれているものは初めてだと感じた。ゴータマ・ブッダがなぜ苦行をやめたのか、身を清めて乳粥をもらい村人の寄進してくれた干し草の上に座った意味。個人的な修行から万人に開かれた教えへ。何度も目が開かれた。2026/05/09




