内容説明
「子どもがほしいけど、夫はほしくない」
十月革命と内戦を経た一九二〇年代半ばのモスクワ。ネップ期で活況を呈す都市には?びとが?量に流?しており、主?公のミルダらはソ連式の共同住宅で暮らしている。女性共産党員であるミルダは、女性の社会進出を阻害する「子どもの問題」を解消すべく、住宅に付属する新しいタイプの託児所の創設に奮闘する。そうしたさなか、風貌はときに男性に間違えられ、色恋にはまったく関心がないミルダも、あることをきっかけに「子どもがほしい」という欲望をもっている自分に気づく。ミルダは優?学的思想に基づき、良質な精?を提供できるだろうとの見立てのもと、優秀なプロレタリアートのヤコフを自らの計画に誘うのだが……。メイエルホリドがリシツキーの舞台装置で演出を企て、盟友ブレヒトもまたドイツで上演を望んだ、共産主義社会にあるべき「家族」像を議論する演劇史上の問題作!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
Nobuko Hashimoto
19
1920年代のソ連の戯曲。共産党員で堅物の女性ミルダを中心に、ごった煮のような共同住宅(コムナルカ)の人々と、それに付随する共同施設をめぐるドタバタ。ミルダは色恋に無縁で猛烈な仕事人間だったが、プロレタリアートの子どもを産みたいと思い立ち、まったく恋愛感情の無い男性に協力を要請する。押し切られた男性はミルダや未来の子どもに情を持ち始めるが、ミルダはあくまで契約と割り切ったまま。当時の優生学に影響を受けている主人公は滑稽な存在として描かれているように感じたが、果たして作者はどう考えていたのだろう。(つづく)2025/10/31
きゅー
6
タイトルが過激だが、中身も過激。子どもは欲しいが夫はいらないミルダが巻き起こす騒動。執筆されたのは1926年のロシア。そのためミルダの「子どもがほしい」という感情は個人的な思いだけではなく、ソビエト社会に貢献する純度100%の優良プロレタリアートを育成したいという思いも含んでいる。そのため、現代の視座から眺めるとコメディ風味の毒気の強いイロニーとして読める。最終幕の子ども品評会などはいかにもグロテスクだ。子どもを生産物として捉え、その優劣を競うこと、それをいかにもポジティブに描いている様には驚かされた。2025/11/11
あいかわ
3
SNSで見かけて気になり購入。戯曲とは知らず、設定も知らず、最初の方は読みづらくて苦戦。途中から慣れてきて読了。解説を読み、かなり理解が深まった。トレチヤコフは観客を芝居に参加させようとしていた(アトラクションの概念)。観客を劇場に組み込み「討論」する。今もリーパの考えがマジョリティだと思うが、ミルダの考えに共感する女性もきっといるだろう。ミルダとリーパがぶつかりながらも会話したように、今「討論」する場所があるかと言われると思いつかない。分かり合えなくとも対話する場、考える場が必要だ。2025/09/23
🍭
3
982(98 ロシア文学>2戯曲)図書館本。白水社2025年8月10日発行。トレチヤコフによって1930年代に描かれた戯曲。解説による舞台(演劇)論の背景描写が手厚く、勉強になる。本作の主題は生殖(リプロダクトライツ)と女性、全体主義的な社会の中で子供が家庭(家族)から切り離されて…… 外出中なので帰宅したら感想の続きを書くかも。2025/09/04
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