内容説明
支援が必要な人は「困った人」じゃない。元気な人も誰かの助けが必要になることもある。私やあなたを追い詰める自己責任論を超えてケアし合える社会を目指そう! 【目次】第一章 あなたの一段は他人の十段?/第二章 なぜ人は追い込まれていくの?/第三章 家族が支えるのが当たり前?/第四章 ともにケアし合う社会とは?
目次
はじめに/一章 あなたの一段は他人の十段?──他者を理解すること/一 算数が苦手な娘/プロセスの違い/抱え込むか、共に考え合うか/他者の合理性の理解/二 障害のある子は同じクラスで学べないの?/特別な配慮は誰のため?/誰の何をノーマルにする?/学校は勉強するところ?/排除的な学校は嫌だ!/三 「ダメ。ゼッタイ。」はゼッタイ、ダメ!?/薬物依存の人は人生終わったの?/薬物という「言葉」/自己表現を取り戻すコネクション/共感ではなく、まず理解を/四 常識と論理の飛躍/名探偵と「ゴミ屋敷」/「困った人」ではなく「困っている状態」/生活保護の人は怠けているの?/二つの合理性のズレ/二章 なぜ人は追い込まれていくの?──自己責任論を考え直す/一 他人に迷惑をかけられない? 自己責任論と個人主義/骨の髄まで、自己責任/誰にとって、何のための、責任?/非難や否定と批判の違い/話してみると「離して見る」/二 障害者や高齢者はかわいそうな人? 障害の医療モデルと社会モデル/かわいそうなあなたと、そうではないわたし?/比較評価か対等か/障害の医学モデルと社会モデル/揺らぐ「客観性」/三 障害者は不幸なの? 標準化と社会的排除/標準化と規格化の歴史/発達障害急増の「社会的」理由 /障害者は不幸しか作らない?/社会構造の抑圧の個人化、内面化の危機/四 二つのマインドセット 理性の悲観主義と実践の楽観主義/硬直マインドセット 「そんなの出来っこない!」/しなやかマインドセット 「どうやったら、可能になるのだろう?」/理性の悲観主義と実践の楽観主義/実践の楽観主義に基づく社会変革/三章 家族が支えるのが当たり前?──ケアの社会化/一 昭和的家族の価値観の限界/専業主婦という「不払い労働」/「保育園落ちた日本死ね!!!」の衝撃/問題の間主観性/弱いパターナリズムへ/二 家族が頑張れ、は違う/日本型福祉社会論という「死語」/家族は暴力的!?/抑圧委譲はあかん!/支配─服従関係を越えるために/三 贈与の社会化・制度化/ままならぬものに巻き込まれること/支配ではなく贈与/幸福の社会化・制度化/家族丸抱えではなく関係の平等主義/四 生き心地の良い社会とは、支え合いが埋め込まれた社会/合理的配慮とはなにか/病を市に出す/差別、格差、差異の違い/同質性ではなく差異の尊重/四章 ともにケアし合う社会とは?──福祉は誰のため?/一 自己責任社会だから自分が頑張れ、は違う/能力の共同性/魂の植民地化/魂の「脱」植民地化とは/「楽しい人生」と「おもしろい人生」/二 家族に閉じず、共にケアする/契約関係の前提にあるケア的関係/大文字のPと小文字のp/共にケアすること(Caring with)/職場でも求められるCaring with/三 安心して思いが話せる・聴かれる環境の大切さ/「聴く」と「聞く」の違い/「他者の他者性」を聴く/「違いを知る対話」と己の唯一無二性/意思決定支援という対話/四 「ダメな人」は、「ダメ」じゃない!/有害な・制約のある男性性を横に置く/安心して弱さを差し出せる/セルフ・ネグレクトを越えて/福祉と社会のあいだで/おわりに/注
感想・レビュー
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