内容説明
子どもにとって本当に必要な体験とは何か?
「体験格差」という言葉の響きがもつ薄気味悪さを手がかりに、
大人たちを「体験の詰め込み教育」に駆り立てる「呪い」の正体に迫る!
大学入試の変化や非認知能力ブームで、子どもの体験までもが課金ゲーム化している。親たちは体験の詰め込み教育に駆り立てられ、子どもたちは格差意識を刷り込まれる。まるで「体験消費社会」だ。
体験をたくさんしたほうがいいと煽られた結果、お金のある家庭の子どもたちはたくさんの習い事をさせられ、かたやお金のない家庭の子どもたちは遊ぶ相手すらいない状態で地域に残される……。そんな、小学生たちの放課後の分断が、あるNPOの調査結果から浮かび上がってきた。
著者は、100年以上の伝統があるキャンプから、プレーパーク、無料塾、駄菓子屋さんまで、体験を通した子どもたちの学びの現場を訪ねる。現場からは、「体験格差」という概念そのものに対する疑念や困惑や批判の声が相次いだ。
本書は最後に、体験消費社会に対して3つの警告を発する。著者が発する3つの警告について、体験格差解消を掲げて活動する複数の団体からの回答もそのまま収録されている。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
本詠み人
28
学力格差、体験格差...格差、格差ってもういい加減にして欲しい。子どもたちがその言を真に受けて、自分の「呪い」にしてしまわないか心配。体験格差とは、非認知能力を身につけるために、学校の勉強以外(水泳や自然体験など)をするために、経済的に(お金のかかる)体験ができないことから、将来受けるかもしれない能力の差を言うようだ。私は家が商売やっていたから、わが子と比べたら体験出来なかった方の子ども時代だったと思うけど、なきゃ無いなりに工夫して楽しく過した。本書の中にもそれこそが非認知能力を育てるとあったから良かった2025/06/13
よっち
28
「体験格差」という言葉の響きがもつ薄気味悪さを手がかりに、大人たちを「体験の詰め込み教育」に駆り立てる「呪い」の正体に迫った1冊。大学入試の変化や非認知能力ブームで、子どもの体験までもが課金ゲーム化している状況。親たちは駆り立てられ、たくさんの習い事をさせられる子どもがいる一方、遊ぶ相手すらいない状況で地域に残される「体験消費社会」に警鐘を鳴らしていて、今はそういう形でないと触れられないことも増えたのかもしれませんが、何のためにそれをする必要があるのか一度立ち止まって考えてみてもいいのかもしれないですね。2025/06/06
りょうみや
23
子どもの体験格差の広がりを問題にするのではなく、そもそもの体験の内容が違ってそれを格差と言えるのかと「体験格差」の定義自体を問題にしている。相変わらず非認知能力の定義批判も鋭い。最近の著作「ルポ無料塾」「子どもを森へ帰せ」「引き算の子育て」の延長線にある内容。おおた氏の意欲作だと思えた。2025/05/06
崩紫サロメ
16
近年、従来の過酷な受験競争に加え、過剰な「経験獲得競争」が展開している。つまり、「”体験”によって得られる非認知能力が足りないと競争に負けてしまう」という発想を親が持ち、親の経済力によって格差が生まれているということである。これに対する筆者の提案は子育てを家庭のみに任せるのではなく、子どもに関わる大人を増やすことである。また、体験を非認知能力の獲得という「目的」と紐付けないこと。「ひとの経験に格差なんてない」という姿勢で向きあうことを挙げる。2025/08/12
イノシシ
6
筆者の主張には8割ほど納得した。 納得できなかった2割の理由は、取り上げられている事例に違和感を覚えたからだ。取り上げられていた事例を行っている方々は素晴らしいと感じるものの、全員からどこか共産主義味を感じざるを得なかった。 資本主義経的な考えから抜け出す上では、このような考え方を持つのはあるあるなのかもしれないが、資本主義にどっぷり浸かった自分にとっては違和感でしか無かった。2025/06/14