内容説明
アメリカはなぜ小国ラオスに手を出したのか?
膨大な軍事援助をつぎ込み、政治に干渉し、信じられないほどの量の爆弾を投下して、多くの人を殺傷し、結局、反共産政府の確保という目的に失敗。この失敗はその後アメリカが経験するベトナムでの挫折の前触れとなった。
アイゼンハワーは、ケネディは、どこで間違ったのか、なぜ間違ったのか。
膨大な政府文書の分析を軸に、アメリカのラオスにおける挫折の歴史を再現。
その後のアメリカのイラクやアフガニスタンへのコミットメントを考察する上での格好のテキストであり、またヴェールに包まれていた1950~60年代のラオス現代史が明らかになるなど、さまざまな視点から読むことができる大著です。
目次
序章
第1章 第1次インドシナ戦争とアメリカによるラオス介入の起源
第1節 第2次世界大戦後のラオス情勢とアメリカ
1. 戦後初期のアメリカの東南アジア政策
2. ラオ・イサラとフランスのラオス再占領
3. ラオ・イサラ亡命政府とスパーヌウォン
4. 1949年フランス・ラオス一般協定
第2節 中国とアメリカのインドシナ政策
1. 中国によるベトミン支援の開始
2. アメリカのアジア政策とインドシナ
3. アメリカの「ラオス王国」承認とインドシナ援助
第3節 1950年以降のラオス情勢とパテート・ラーオ
1. ネーオ・ラーオ・イサラの発足
2. ベトミンとパテート・ラーオ
3. ベトミン軍による「国境作戦」と「北西部作戦」
第4節 朝鮮戦争勃発後のアメリカの東南アジア政策とラオス
1. インドシナ援助の開始とNSC 48/5、NSC 124/2
2. 「平穏なラオス」
第5節 1953年のベトミン軍のラオス侵攻
1. ベトミン軍のラオス侵攻とアメリカの対応
2. インドシナ援助の増大と「ラオス要因」
3. ベトミン軍のラオス再侵攻
第2章 1954年ジュネーブ会議とアメリカの対ラオス政策
第1節 ジュネーブ会議前のアメリカのインドシナ政策
1. NSC 5405と「秘密作戦」、「国内的安全保障」
2. インドシナ軍事介入論争と現地軍の育成、「国内的安全保障」
3. ディエン・ビエン・フー危機と「統一行動」
4. 東南アジアにおける集団防衛体制の模索
第2節 ジュネーブ会議におけるアメリカの政策
1. ジュネーブ会議参加国をめぐる問題
2. ジュネーブ会議とラオス・カンボジア問題
3. ラオス・カンボジア問題の切り離しと外国軍撤退
4. 米英7原則と東南アジア集団防衛体制
第3節 ジュネーブ合意の成立とラオス
1. 仏軍基地、パテート・ラオ「再集結地域」をめぐる対立
2. ダレス、マンデス=フランス、イーデン会談
3. ジュネーブにおける最終合意
第4節 ジュネーブ合意に対する評価
1. ラオスに関するジュネーブ合意
2. ラオス国内の反応
3. アメリカの反応
第5節 マニラ条約と東南アジア条約機構(SEATO)の発足
1. 米英合同研究グループと多国間協議の開始
2. マニラ条約の成立
第3章 1954年ジュネーブ会議後のアメリカの対ラオス援助体制の構築
第1節 アメリカによる対ラオス直接援助の開始
1. 直接援助の提案
2. ラオス国内情勢
3. カントリー・チームの始動
第2節 王国政府との協議とアメリカの軍事援助
1. 対ラオス軍事援助に対するJCSの留保
2. ヨスト公使の王国政府との協議とアメリカの圧力
3. 「緩衝地帯」としてのラオスとNSC 5429/5
4. 王国軍兵力レベルと対ラオス軍事援助の決定
第3節 王国政府=パテート・ラーオ交渉とアメリカの反対
1. 王国政府=パテート・ラーオ交渉をめぐるアメリカの圧力
2. ダレスのラオス訪問
第4節 王国政府=パテート・ラーオ交渉の決裂
1. バンドン会議と王国政府
2. 交渉の決裂
第5節 自主防衛計画と「計画評価局」(PEO)
1. ラオス警察・憲兵隊の増強
2. 自主防衛計画の開始
3. PEOの設置
4. タイ・ラオス軍事協力
第4章 1955年選挙とアメリカの干渉
第1節 情報宣伝活動とラオス政治家への支援
1. 情報宣伝活動
2. 国民戦線形成とアメリカの資金援助
第2節 アメリカによる経済的救援活動と情報宣伝活動
1. 6カ月行動計画と経済的救援活動
2. 選挙直前の情報宣伝活動
第3節 1955年選挙の結果
ほか
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