内容説明
学者ですら躊躇なく使う中江兆民の代名詞「東洋のルソー」。その由来ともなった『社会契約論』の翻訳『民約訳解』は、なぜ漢文で書かれていたのか。また、その翻訳に込められた兆民の意図とは何だったのか。『民約訳解』を単なる翻訳書ではなく、兆民の思想書として詳細に再検討することで、兆民がルソーを介して、在来思想としての儒教に回帰し、それを刷新しようとした「儒学者」であったことを鮮明にする、画期的な思想史研究。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
takao
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ふむ2025/11/07
水紗枝荒葉
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明治期における言語と思想の緊張関係が面白いことは言うまでもない。本著が綿密な文献読解によって描くのは、中江兆民が単に儒学を用いてルソーを解釈したのではなく、むしろルソーによって儒学を再構築した様子である。例えば兆民はフランス留学帰国後に漢文塾に通い、鍛えた漢文スキルで『社会契約論』の漢文訳『民約訳解』を書いた。そのせいで評価は高いが普及しなかったらしい。漢文の採用はエリート意識のみならず、「民」が漢文という学術を修め「君子」になるという朱子学的な期待があった。女性の政治参加もこの範疇に含まれている。2025/04/18




