内容説明
「楽しむ」とはどういうことか? 『暇と退屈の倫理学』にはじまる哲学的な問いは、『目的への抵抗』を経て、本書に至る。カントによる「快」の議論をヒントに、「嗜好=享受」の概念を検証。やがて明らかになる、人間の行為を目的と手段に従属させようとする現代社会の病理。剥奪された「享受の快」を取り戻せ。「何かのため」ばかりでは、人生を楽しめない――。見過ごされがちな問いに果敢に挑む、國分哲学の真骨頂!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
初美マリン
92
カントのいう批判というのは、対象を吟味して分けるということのように用語が少し理解できた。人間は道徳的であろうと義務づけられていて、知性の限界の中で最大限努力すること、ふんふんとわかったような気分で終わった。楽しみを否定ではなく、それのみではいけないと。どうしてなのかよくわからないけれどという言葉とともに、読み終わった。2025/02/22
けんとまん1007
83
ただただ「楽しむ」ということを考えつつ、なかなか言語化できていなかった。それが、國分先生のおかげでスッキリした。コスパ・タイパの3文字が、とにかく目につき過ぎると感じていたので、大きな違和感を持っていた。○○のため・・から始めるのではなく、結果として○○になっていたぐらいでもいいのだと思う。時間が経ち、ふと「そういえば・・・」となるのがいいなあ~。2025/05/10
あらたん
62
カント哲学をベースに、嗜好品(ただ楽しむためにのみ存在するもの)の思考からはじまり、快(楽しみ)の考察と肯定へと続き、現代の消費社会は享受の快を剥奪しているのではないか、でも享受の快を剥奪された社会は望ましい社会ではないのではないか?新たな形の全体主義なのではないか?と結ぶ。哲学の話なのに全体としてとてもわかりやすく著者の問題意識がしっかりと伝わってきた。目的なき快の追求は人間らしさの発露かもしれず、AI時代が進むともっと重要になっていくでしょうね。2025/09/07
うえぽん
53
哲学者が雑誌掲載論文と同テーマの東大駒場での講話の内容をまとめた本。カントが実践理性批判で論じた表象・客体間の因果関係と判断力批判で論じた表象により主体に感情が生じる関係を基に、これらの能力が高次・低次に実現する場合に分けて、美・崇高、善、目的のための手段、快適(享受の快)の4象限の概念を比較。現代社会がタバコや酒等の嗜好品を単に楽しむ享受を排除し、全てが目的のための手段に陥る傾向に警鐘を鳴らす。崇高や善の経験も危機に瀕しているとする。目的 手段の連鎖は目的未達が不可避であるため人生から快を奪うのだろう。2025/06/12
ころこ
52
本書は前半の論文と後半の講義とで同じ内容を反復している。問題は、前半の論文が凄く難しいことだ。(順番通りに読むことをお勧めするが)嗜好品にあたるドイツ語の考察、この言葉を使用した哲学者カントの引用と読解、特に『実践理性批判』の欲求能力と『判断力批判』の感情能力を(恐らくラカンを意識した)四象限による分析と厳密な論理展開によって書かれている。結論はタイトルにあるように明確で簡単だ。定言命法のように、それ自体を目的からも手段からも自由な快として、普遍性を要求せず各人それぞれに固有の楽しみとせよとなる。楽しみは2025/02/18
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