内容説明
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
現在あまりにも偽善的な評価によって正当性が認知されつつあるレトリックを、その居心地の悪い「陽のあたる場所」から救い出し、再びそれにふさわしい日陰者の位置に追いやることが本書の目的である。本書では、世間一般の倫理ではなく、レトリックの倫理に忠実であった人々を取りあげる。自分達が獲得したレトリックという技術の可能性を信じ、その力を徹底的に確かめようとした人々である。ぼくは彼らの邪魔をしてやりたい。レトリック研究者の端くれとして、レトリックに詰め腹を切らせたいのだ。だから本書は、従来の修辞学史とは違う「闇の修辞学史」のごときものとなる。
目次
序 レトリックはその本性によって「詭弁」を志向する
第一章 「自分を恋している者よりも恋していない者にこそ、むしろ身をまかせるべきである」---プラトン『パイドロス』におけるリュシアスの演説について
I 弁論代作人リュシアスの逆説的演説
II 自分を恋されることの不都合
III 正しい根拠による誤った論証
第二章 「修辞学の教師たちは前代未聞の狂気にかられているのではないでしょうか」---古代ローマの修辞学校の訓練方法について
I アウグストゥス帝の学校見学
II 修辞学校での訓練
III 論証に憑かれた帝国
第三章 「昂奮するな。質問し続けるがよい。そうすれば彼らは答弁することであろう」---フロイス、ロレンソと日乗上人との論争について
I レトリックとしての宗論
II ロレンソ対日乗
III フロイス対日乗
第四章 「この桁外れの人物は本当に”実在”したのか」---リチャード・ウェイトリーの『ナポレオン・ボナパルトに関する歴史的疑義』について
I 相手の主張を不条理に帰結させる論法
II ヒュームの「奇跡論」
III ウェイトリーの反論
あとがきにかえて---レトリック教師の報酬について
引用・参照文献
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
珈琲好き
袖崎いたる
富士さん
どみとる
CCC