内容説明
被植民者同士は植民地的尺度に基づいた比較なしに出会えるか。脱植民地性と他者性は共存できるか。日本帝国植民地末期から終戦直後にかけて朝鮮、台湾、日本において書かれた記録文学、座談会、ビラや新聞記事、風聞などを分析し、暴力と支配のなかで不可能ながら存在した被植民者たちの共鳴と連帯、抵抗の身振りを拾い上げる。
目次
はじめに──「比較」とは別のまなざしで
序章 植民地化された接触と位階化された比較を超えて
一、二つの遂行文
二、研究史の検討──植民地主義/脱植民地主義の比較研究
三、差質と差配──接触と比較に対する理論的接近
四、テクストの特性および各章の要約
五、二つのジェスチャー──比較の間/中の共感を目指す身振り
第1章 対話的テクストにおける被植民者同士の「比較」と「共感」
一、「比較」に抗して
二、比較の位階──「中央(文壇)」が配置した台湾と朝鮮
三、比較の連鎖──常に存在する「中央文壇」と植民地的感情
四、共感と差異──「どうにもならない」居心地の悪さ、「ふるへてゐる」翻訳
五、闇の中に──植民地の特異性とよその言葉
第2章 植民地博覧会における被植民者の中/間の「複数の地方化」と時間性
一、「複数の地方化」に抗して──植民地主義と人種主義の接合
二、被植民者の間/中で交差・連鎖する地方化──帝国の博覧会から拓殖博覧会へ
三、被植民エリートの両面性──「欲望を伴う拒否」
四、被植民他者たちの両面性──「積極的受動性」
五、植民地群衆と複数の時間性
六、身振りの中/間に──沈黙、狂気、凶行、悲鳴
第3章 聞こえてきた「解放・独立」「コーフク」と継続する「脱植民地化」
一、「起源」に抗して──この時期を何と呼べるのか
二、脱帝国化と脱植民地化の差異──「脱植民地化の代行」「与えられた解放」という言説
三、「聞こえてきた」玉音放送と翻訳・変形する起源
四、脱植民地化のメディア、「風聞的ルポルタージュ」
五、脱植民地化という問いの移行──「比較に対する闘い」から「脱植民地性と他者性の共存」へ
第4章 「街の政治(ソウルと台北)」と「風聞的ルポルタージュ」──金南天と龍瑛宗の自伝的小説・随筆
一、風聞的ルポルタージュ──脱植民地性は他者性と共存できるのか
二、街の自伝的小説「一九四五年八・一五」──朝鮮における脱植民地化と「イデオロギー対立」の間
三、感情と表情の自伝的小説・随筆──台湾における脱植民地化と再植民地化の間
四、朝鮮人少女の自伝的随筆と「玉音放送」の空白──李申善「八月十五日」
第5章 移住・帰郷の不/可能性と「国内難民」の抵抗的浮遊性──安懐南の自伝的小説と上野英信の「あひるのうた」
一、強制動員された炭鉱労働者の流民・棄民・難民化
二、炭鉱労働の特徴とアリラン部落における風聞的ルポルタージュ
三、噂の歴史性と噂のジェンダー化──「炭坑」・「鉄鎖、切られる」
四、移住・帰郷の不/可能性と「国内難民」──「馬」・「島」・「火」
五、もう一つの「アリラン部落」──代替される元宗主国労働者と元植民地の流民・棄民・難民
六、「帰郷」が「逃走」になるとき──「解放・独立」の噂と抵抗的浮遊性
終章 「比較」から遠く
あとがき
初出一覧
参考文献
凡 例