内容説明
孟子とカント、ルソー、ニーチェ。中国哲学と西洋哲学を往還しながら、人間の道徳の根拠を問う、現代フランス思想の旗手のよるスリリングな著作が、ついに文庫化! 東浩紀氏も絶賛する注目の書。
西洋哲学、東洋思想という枠を軽々と乗り越え、普遍に迫ろうとする知の力を堪能してください。
目次
1.憐れみをめぐる問題
2.性と生について
3.他者への責任
4.意志と自由
5.幸福と道徳の関係
訳者解題――存在と道徳への問い直し
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
17
西洋哲学界で「オワコン」になっていた「道徳の基礎付け」を孟子を介することで再起動させる。面白いのは、孟子が道徳を形而上学的な存在、つまり神を一切通さずに語っていることで、ジュリアンはここにカントと孟子の対立点をみている。中国思想の神の不在というのは非常に興味深い論点だと感じたし、形而上学を否定しながら本来性を志向するハイデガーと孟子を比較するとさらに面白いかもしれない。「道徳」という忘れ去られたテーマがここにきて再浮上するのは社会の混迷を裏付けている気もします。2018/02/11
テツ
16
タイトルの「孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ」に惹かれて購入。中華の思想、孟子の道徳と西洋哲学が語り到達した道徳とを対比させる流れは僕のようなアホにでも考えることが多かった。「善く生きること」が道徳の目指す姿であるのなら、それはそれが語られている時代の社会とは切り離せないモノであり、意識的でないにしろ自らが生きる社会で得をするために社会通念上のありふれた道徳規範を守るというのは正しい生き方なんだろうか。あたりまえに語る自分の中の道徳って本当に自分が考えて選び取った善い行いなんだろうか。難しい。2018/01/10
おっとー
10
定言命法がんじがらめのカント、憐れみを発見しつつも自分を崩さないルソー、道徳を系譜づけるニーチェ。これらを経た現代思想の最先端にいたのは意外にも孟子だった。孟子が提起する即時的な憐れみ(忍びざる心)は、意志の介在なく生じ、利害の計算を越え、目的を無視する。「牛を助け、代わりに羊を供物にせよ」といった王は決して愚かではない。むしろ「羊はどうなるんだ」とかドヤ顔でいい放つ我々のほうがくだらない。それは欲望にまみれ、未来と利益しか志向しない性悪な人間の末期症状である。道徳は目的なきプロセスでなければならない。2018/06/11
みのくま
8
西洋人による「孟子」読解だが、多くの発見に満ちた本である。しかし全編を通してずっと違和感が拭えない。おそらく東西の人間観が異なる為だろう。それは悪の問題や民主主義の問題で顕著に現れる。絶対的な悪という概念を求めたり、天命を民意に読み換えるのは、西洋人が主体的な個人を想定しているからだろう。だが、その前提が普遍的でありえない事に著者は気づくべきであった。それはまさにピュシスを理想とする東洋と、ノモスを理想とする西洋の違いであり、人間を動植物と変わらない生物として扱う東洋と、霊長として扱う西洋の違いでもある。2021/08/10
Amano Ryota
6
利己的でない道徳なんてない、と僕は思うから、孟子の道徳と幸福を分けない考え方は納得出来る。そうするしかない。それでも、最後に述べられていたように、道徳=幸福が成就されるかどうかは、最終的に天(=伺い知れ無いもの)に依るのだとすると、人がどうしても道徳的である必要はないように思える。利他的な反道徳なら、どうなのだろうか。「孟子は決定論や、それに対する自由の問題を立てているのではない。そうではなく、運命を全うすることを要求することで、孟子は、運命に対する最も大きな責任を引き受けることを目指しているのである。」2017/10/20