内容説明
「私は人事係だから、仲間の最期の様子をこうやって、
すべて書き留めていたんですよ」
沖縄戦の終結まぎわ、一人の兵士に託された
「生きて伝えよ」という使命。
ガマから奇跡的に持ち帰った戦時名簿とともに、
長い戦後を生き抜いた元・下士官の語られざる物語。
【本書「はじめに」より】
第二次世界大戦中の沖縄戦史において、石井耕一は無名の人物である。
玉砕した沖縄本島南部の戦線にあって、自身が所属した中隊における下士官一八人のうち、ただ一人の生還者であることは知られていない。
日本軍の司令部が置かれた摩文仁を擁する破壊し尽くされた南部にあって、戦後、洞窟(ガマ)に隠しておいた人事記録や戦時中の記録を本土に持ち帰ることに成功した、ただ一人の人物であることも知られていない。(中略)
玉砕の沖縄戦と呼ばれた戦禍の中で生還者となった石井は戦後、戦友の家族らのもとへ、「最期の瞬間」を伝え届けることを使命とした。
戦中の状況になぞらえるならば、さながら「死の伝令」ともいえようか。
石井は、自爆決死の斬り込みのかたわらで、上官の命令を受けた。
「生きて伝えよ」
この最後の命令を、死の瞬間までまっとうした人生であった。石井耕一という人間は、そうした時間を生きた。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
いつでも母さん
138
そうか・・「死の伝令」上官の命令は絶対。今だからその任務も分かる気がする。生き残った・・生き残らざるをえなかったと割り切るまでの心中や測り知れない。何よりも持ち帰った石井氏ご本人直筆の戦時名簿が重い。上官・山田中隊長も辛かっただろうな。多くの証言、資料からいまも新たにわかることがある。来年はあれから80年だ。まだたった80年。私たちにも託されたのではないかー「生きて伝えよ」2024/08/26
kawa
31
沖縄戦での日本兵の自爆決死の切り込みのかたわら、人事係として「生きて伝えよ」の上官命令で奇跡的に生き残った石井耕一氏からの聞き書き。戦後、遺族に連絡を取って家族に戦死した状況を伝えることを使命と決意するが、「なぜ、あなただけが(生き残った)」の圧もあって、つらい日々を過ごすこともあったようだ。今しかできない貴重な取材に拍手。ただ90歳超えの高齢という限界もあったのか、全体のストーリーに深みが欠けたり、本題とあまり関係の記述があったりの印象。戦後の遺族との詳細なやり取りが知りたかったところだが・・。 2025/03/14
すーぱーじゅげむ
17
1945、沖縄戦で捕虜になり、仲間の最期を遺族に伝えることを人生の仕事とした石井耕一さんの戦争体験と戦後。「生きて伝えろ」の内容がものすごくちゃんとしていて、この人すごいと思いました。衛生兵でもないのにできるかぎり看取りをやっている。百人以上いたのでメモを取って洞窟に残しておき、捕虜状態で危険を冒して取りに行く。享年98、十分お役目を果たされたな、と。「生きて虜囚の辱めを受けず」というスローガンは知っていましたが、投降する日本兵を遠くから撃ち殺す日本兵がいたとは……。2024/10/01
いざなぎのみこと
12
太平洋戦争の佳境、沖縄戦の最中に、軍隊の名簿を密かに隠した人物がいた。戦後、米軍の目を潜り抜け、回収に成功した彼は、そこに記された一人一人の住所を訪ね、最期を告げるという責務を全うしようとする。それは戦争が終わっても続く、果てしない苦悩の日々ー生き残った者の宿命として、辛い作業を孤独にこなす姿に本当に頭が下がります。家族としては最期を告げられることが最終宣告になり、信じたくない気持ちもあるという描写は現実味があり、だからこそ使命感を持って臨んだ葛藤の半生を讃えたいと感じました。ノンフィクションの傑作です。2024/12/31
ゴーヤーチャンプルー
11
第二次世界大戦中の沖縄戦史において無名な石井耕一という男。のちに古郷で役場勤めから助役まで上りつめ、その後、4期16年にわたり市長という職責を全うした。しかしその傍らで沖縄戦で生き残ってしまったという罪を背負いながら、中隊長からの「生きて伝えよ」という使命を胸に、戦友の『最後の瞬間』を遺族らに伝えに行くという終わりのない旅路を生き抜いた記録。戦後79年、どんどん戦争体験者がいなくなっていく。二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、時々はこういう本も読んでおきたい。2024/08/27