内容説明
1940年頃、日本経由でナチス迫害から逃れたユダヤ難民。彼らを救った杉原千畝はよく知られるが、それは決して杉原一人では成し得なかった。本書は、彼らが通った遠き日本へのルートや、敦賀や神戸で語り継がれる当時のエピソードに始まり、杉原以外の外交官やユダヤ難民(杉原サイバー)のその後など、“杉原ビザ”の功績を書き著してゆく。著者独自の取材による2139人の「杉原リスト」も初公開。2012年に発行された交通新聞社新書044『命のビザ、遥かなる旅路』の続編にあたる。
目次
■目次
第 1 章 ナチスに追われたユダヤ人のヨーロッパ逃避行
第 2 章 アルバムとの出会い
第 3 章 私が会った杉原サバイバーたち、そしてその後
第 4 章 身元が判明したアルバムの人々
第 5 章 ヤン・ズワルテンダイク
(駐カウナス・オランダ領事)
第 6 章 根井三郎(駐ウラジオストク総領事代理)
第 7 章 N・A・J・デ・フォーフト
(駐神戸オランダ領事、後に駐日オランダ大使)
第 8 章 建川美次(駐ソ大使)
第 9 章 タデウシュ・ロメル(駐日ポーランド大使)
第10章 杉原リストの2139人を追って
独自調査に基づく最新「杉原リスト」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
139
杉原千畝によるユダヤ人難民へのビザ発給は偉業だが、オランダ領事も同じビザを出していたし、ウラジオ総領事代理は難民の日本入国を阻もうとする外務省の意向に反し渡航証明書を出した。やっと入国した難民に亡国のポーランドやオランダ外交官は強く支援した一方で、ソ連は外貨欲しさとユダヤ人をスパイに仕立てたい魂胆から協力していた。そうした人びとの働きがあってこそ多くの人命が救われたが、ビザ発給数は従来言われてきた6千ではなく約2千通との事実を明らかにした著者の調査に不満を述べた者にとって、歴史とは真実ではなく物語なのか。2025/09/18
Nobuko Hashimoto
18
著者は元上司が残したアルバムに貼られた写真を発端に、戦時下、主に杉原千畝が発行した通過査証を得て欧州を脱出できた人々のその後や、杉原以外に彼らを助けた人々を精力的に調査し、成果を公表してきた。最終章では杉原千畝が作成した査証リストと各種の文書を突き合わせ、査証一通につき何人の同行者がいたかを検証し、判明したことを一覧で公開している。それ以外の部分は前著『続 命のビザ、遥かなる旅路』とかなりの部分が重複している。おそらく前著が絶版になった(?)ため、新しい調査結果を足して再出版した感じか。2025/10/29
Francis
12
1940年リトアニアの駐カウナス公使だった杉原千畝さんが外務省の命令に反してビザを発給して救った数千人のユダヤ人たちがその後どんな人生を送ったのかを中心に書かれている。この本を久美堂書店の鉄道コーナーで見つけた時は驚いた。出版は鉄道専門の出版社交通新聞社。新書でありながら杉原さん以外にもユダヤ人を救った外交官がいたが、彼らは杉原さんのように未だにその功績が知られていない事、そして杉原ビザで救われた人たちの子孫の多くが杉原さんに感謝している事など、実に多くの事を知る事が出来た。著者北出さんに感謝。2024/09/08
家出猫
11
この本の素晴らしいところの一つは、杉原千畝さんだけでなく、命のビザに関わる人々の奇蹟についても言及されている点である。ユダヤ人の迫害については、夜と霧などの名著ですでに知っているので割愛する。この記録は、日本人が人道的支援という目的にだけ追従するのではなく、人としてしなければならない使命に向かったことを後世に引き継ぐべきものであるとも言える。日本人として、いや人間として大切なものはなんだろうか。改めてそんな気持ちにさせられた。1人の人を救うことは、人類を救うことにつながるのだと思う。2024/12/08
Go Extreme
3
ナチスに追われたユダヤ人のヨーロッパ逃避行:ワルシャワ→ビリニュス/カウナス・リトアニア→モスクワ→シベリア鉄道→ウラジオストク→敦賀→神戸→サンフランシスコ アルバムとの出会い:古びた1冊のアルバム・7人の顔写真 私が会った杉原サバイバーたち、そしてその後 身元が判明したアルバムの人々 ヤン・ズワルテンダイク・駐カウナス・オランダ領事 根井三郎・駐ウジオストク総領事代理 デ・フォーフト・駐神戸オランダ領事→駐日オランダ大使 建川美次・駐ソ大使 タデウシュ・ロメル・駐日ポーランド大使 杉原リスト2139人2024/08/22
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