内容説明
この世には、自分の力ではどうしようもないことがある。そのことに苦しみ切なく感じても、「生きているだけで大仕事」と思ってやり過ごせばいい――。「仕方なく、適当に」「万事を休息せよ」「死んだ後のことは放っておけ」など、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。死者を求め辺境の霊場を訪れる人々、逸話だらけの修行時代、よい宗教とわるい宗教、親ガチャや苦の正体――恐山の禅僧が“生老病死”に本音で寄り添う。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ろくせい@やまもとかねよし
151
南さんのエッセイが集録。彼のテーマ「自分が自分であることの根拠」について、国家、政策、宗教、善悪、苦楽、そして生死を交え考察する。私たちにはそもそも責任がないと。それは現世に生誕した私たち自身にそもそも根拠がないからだと。しかし、私たちには自分だけの物語を紡いでほしいと説く。この物語は自分の経験を他の人に語ることで確認すべきだと。そして、その確認に絶対的な方法はなく失敗を重ねることで物語も育つのだと。その視点「本当に人を赦すなら、「赦す自分」を許せなければならない」には感涙。「親」への考察も大変興味深い。2024/04/25
けんとまん1007
73
ふっと、肩の力が抜けるような感覚がある。それでいて、後から、頭と心が刺激されて、活発に動き出す感覚がやってくる。比較的、平易な言葉で綴られているが、まさに、捉え方は100人100様。また、時間の流れと共に、その時の状況・状態によっても、随分、違ってくるだろう。日々の営み自体が、修行の一環でもあるかもしれない。ある日、ある時、それまで見えなかったことが見えたり、思考の階段が一段、高くなったりすることがある。それを望みすぎることなく、そのうち、やってくるだろう・・・くらいの心持ちでいたい。2024/09/02
akihiko810/アカウント移行中
31
禅僧・南老師のエッセイコラム。ネット連載「お坊さんらしく、ない」の書籍化。印象度B+ ネット連載ですでにほとんど読んでたのだけど、面白かった。「僕はなぜここにいるのか」と「自己の存在の根拠」を南老師に問いに来た5歳児(!)の話、作り話なんじゃないのかと思うくらいすごい。まさに子供の姿をした大人だ。こういう子を舐めずに、はぐらかさずに誠実に答える老師は偉い。 あと「親ガチャ」の話。「自分であることの無根拠さ」を「ガチャ」という軽い言葉に例えたことに対しての考察もいい。2024/06/14
原玉幸子
23
感銘を受けた『善の根拠』以降は南信奉派となったのですが、南も「売れ線」になったからか、本書はエッセイスト然。引用される生活のシーンから時に仏教思想に触れることも出来ますが、まぁ本書でなくてもいいかと思います。前掲書と凄味は比較にならず、うつらうつらしながらでも深夜便移動の一晩で完読。(うーん、今の今はエッセイを読みたかったのではなかったのだわ。)(●2024年・夏)2024/07/15
柊子
21
ブラタモリの「恐山」を観て、読んでみたいと思っていた本。納得できる言葉はいくつもあったが、一番はこれ。『我々は人生を自分で始めなかった。仕方なく、生き始めた。ならば、これからも「仕方なく」生きて行けばよい。仕方がないと呟いて生きるのも勇気だ』。仕方がない、は過去と正解を捨てる決意…だと説く。これ、いい加減にも思えるけれど、確かに気持ちが軽くなる。学生時代に訪れた恐山、また行ってみたくなった。2024/10/02
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