内容説明
古墳時代のさなか、日本列島では冠・耳飾り・飾り帯など貴金属のアクセサリーが流行した。新羅(しらぎ)・百済(くだら)・加耶(かや)など朝鮮半島の様々な社会から古代日本の倭へ贈られた品々には、いかなる意図が込められていたのか。発掘されたアクセサリーを紹介しながら、海を越える個人や集団の細やかなつながりや、それらを身に着けた人びとの群像を生き生きと描く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
月をみるもの
13
磐井の乱とか武蔵国造の乱の頃までは、筑紫や毛野は半島との外交を独自に行っていた。それはつまり、ほとんどヤマトから独立した国だったということだ。高句麗・百済・伽耶・新羅が争っていた半島と同様に、列島側も筑紫や出雲、吉備、毛野の間にかなりの緊張関係があったに違いない。この半島と列島の国々の間でやりとりされた、当時の最新技術と権力の象徴のひとつがアクセサリー。文献史学だけでは決してわからない相互関係を、ひとつひとつの出土品の形態解析から解き明かしていく手際は、見事としかいいようがない。2021/08/08
うしうし
5
朝鮮半島の発掘調査が進む中で、垂飾付耳飾り等をはじめとしたアクセサリーの地域性、すなわち「新羅・百済(漢城期→熊津期→泗沘期)・大加耶」が明らかになってきた。筆者は朝鮮半島と日本の出土品を比較する中で、5~6世紀の倭のアクセサリーは「倭王権を中心とした身分秩序」を演出したものではなく、「倭と良好な関係を維持しようという、朝鮮半島諸社会の意図が込められている」(p13)と解釈。つまり、かって垂飾付耳飾り等のアクセは対朝鮮半島の外交に関係していた人物が、三角縁神獣鏡のように倭王権から2021/07/29
越高美雪
2
通史的なものは極力排除したかったと後書きにあったが、現在の研究結果に疎い私にはありがたかった。何せ20年前の知識がベースなもので😅 20年前に訪れた武寧王陵と天馬塚古墳群で購入したお土産のアクセサリーの謎も少しわかってスッキリした😍 コロナがおさまったら国立韓国中央博物館(一昨年訪問したが凄かった❗️)との共催展示、必ず実現しますように‼️2021/06/13
古墳くん
1
あとがきに至るまで、私的な部分まで素敵な著書。2021/07/21
転天堂
0
筆者の博士論文をもとにした単著から、アクセサリーに着目し焦点を当てている。古墳の大きさは倭のほうが圧倒的に大きいが、イヤリングももとになる大伽耶式などより長くなるなど、当時の倭の人々は「大きいことは良いことだ」的なセンスを持っていたのだろうか。何度聞いても、5世紀に吉備地方の副葬品が大幅に入れ替わる話は興味深い。越前政権の大和地方進出、磐井の乱など、当時の倭の中での勢力争いも相当ダイナミックだったと思われるは、惜しむらくは『日本書紀』史観でまとめられてしまったとこか。2024/07/02
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