ちくま新書<br> 人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

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ちくま新書
人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

  • 著者名:山口尚【著者】
  • 価格 ¥935(本体¥850)
  • 筑摩書房(2023/12発売)
  • ポイント 8pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480075956

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内容説明

人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。

目次

序 責めることと罰すること──自由と責任の哲学へ/I/第一章 刑罰は何のために?──〈応報〉と〈抑止〉/1 なぜ刑罰について考えるのか/2 刑罰とはなんだろうか/3 刑罰の意味をめぐる問い/4 抑止効果/5 応報とは何か──正義のバランス/6 応報と抑止/第二章 身体刑の意味は何か?──〈追放〉の機能/1 抑止と応報にとどまらない刑罰の意味/2 古代中国の身体刑/3 苛酷で残虐な刑罰に何の意味があるのか/4 社会からの排除/5 刑の軽重と追放の体系/6 なぜ刑罰は追放の意味をもつべきなのか/7 現代にも残る追放/第三章 刑罰の意味の多元主義──〈祝祭〉・〈見せもの〉・〈供犠〉・〈訓練〉/1 刑罰が多様な目的を持ちうることの何が重要か/2 祝祭としての刑罰──ミシェル・フーコーはこう考えた/3 見せものとしての刑罰/4 供犠──刑罰の宗教的意味/5 訓練──犯罪者を更生させる権力/6 パノプティコン──隠微な権力のモード/7 刑罰の意味が多様であること/コラム 意味をめぐる問い、正当性をめぐる問い/II/第四章 応報のロジック/1 応報の何が問題なのか/2 犯人とは何か/3 行為・責任・主体/4 責任の条件は何か?/5 責任を疑うロジック/6 それは彼の選んだ行為なのか?/7 応報は不可能か?/第五章 自由否定論/1 神経科学からの問題提起/2 脳の神経活動と意識的意図/3 リベットの実験/4 拒否する自由意志/5 拒否は無意識の原因をもたないのか/6 見せかけの心的因果/7 責任も錯覚の一種になる?/コラム 神経科学と刑事司法/第六章 責任虚構論/1 社会心理学からの責任批判/2 小坂井敏晶『責任という虚構』について/3 ミルグラム実験──人間の責任の脆弱さ/4 原因と結果の連鎖/5 責任の正体/6 虚構を通じて社会は存立する/7 変転する虚構/III/第七章 それでも人間は自由な選択主体である/1 人間の生の一般的枠組み/2 罰すること、責めること/3 罰することがすべて無意味になる世界/4 科学的世界観の下で自由に居場所はあるか──私自身の経験から/5 ひとが何かをすること/6 自由の否定の自己矛盾/7 人間の条件/第八章 責任は虚構ではない──自由と責任の哲学/1 私たちはどのように生きているか/2 自由と怒り/3 人間が責めるのは人間である/4 反応的態度/5 道徳的要求と道徳的期待/6 ナンセンスな問い/7 人間の生活と科学の実践/コラム ストローソンの「自由と怒り」/第九章 自由・責任・罰についての指摘/1 人間として生きるということ/2 自由否定論には何が足りないか/3 拒否権説の不足──人間の自由は理論によって確証される必要はない/4 責任が実在する空間/5 刑罰廃止論を問いなおす/おわりに/読書案内/注

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

trazom

125
法学的な刑罰論ではなく、「人を罰することの意味」を哲学的に考察する一冊である。刑罰の目的に「抑止」とともに「応報」があることに注目し、果して「応報」は可能かと問いかける。「そもそも私たちは自由な選択主体ではないから、人間を応報の意味で罰することはできない」とする自由否定論・責任虚構論に対して、著者は、「責任や応報も人間の活動を成り立たせるフレームワークに属する」として反論を試みる。結論に対してトートロジー的なもやもや感は残るが、自らの意見や悩みを詳らかにして記述する著者の誠実な姿勢に、好感を覚える。2024/01/04

香菜子(かなこ・Kanako)

28
人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門。山口 尚先生の著書。人が人を罰するということはどういうこと?人が人を罰する資格は本当にあるの?仕事として人を罰するということをしている人はいるけれどそれは本当に正しいこと?人間は間違うもの。間違うことがない人間なんて人間ではない。同じ間違うものであるはずなのに人が人を罰するということは矛盾するのかな。仕事として人を罰するということをして人が間違えたら他の人よりも厳しく処罰されないとおかしいのかな。考えさせられる一冊。2024/05/01

みこ

28
サブタイトルに哲学と書いてある通り、法学的な刑罰論ではなく、人がルール違反を犯した者に対してどのような感情を抱くのか、また、ルール違反という行為に対して責任は発生するのかなどを論じる。人が処罰的な感情を持つこと自体は自然なことと論じているが、その流れで昨今ネットの少々行きすぎな処罰感情についても論じて欲しかったが、ボリューム的に一冊の本にまとめるのは困難か。2024/01/08

buuupuuu

25
現代社会では至る所で自由や責任というものが語られる。それゆえに様々なレベルで、私たちが本当に自由なのかどうかが問題にされる。本書では、自由がまったく存在しないとしたら責任や罰といったものが無意味になるのではないかという議論が検討される。著者の考えでは、自由が存在しないと「主張する」ことは、いわば行為遂行的な矛盾である。刑罰の有意味性についての議論は、日常生活における罰や責任についての議論へと容易に拡大できる。罰や責任がない世界とは、行為や規範性がない世界である。私たちはそういう世界を生きることができない。2024/01/19

かんがく

14
刑罰を通して自由意志と責任について考察する哲学書。Ⅰ部は刑罰の役割を歴史的に紐解いていく内容で理解しやすかったが、Ⅱ部以降一気に議論が抽象的になって完全には理解できなかった。以前読んだ『責任という虚構』へのアンサーだが、なんとなくしっくりこない。2024/03/06

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