内容説明
もっと裕福な家庭に、魅力的な容姿に生まれたかった、いっそのこと生まれてこないほうがよかった……近年、若者の間で瞬く間に広がった「親ガチャ」という言葉。人は生まれてくる時代も場所も、家庭環境も選ぶことはできない。そうした出生の偶然性に始まる人生を、私たちはどう引き受けるのか。運命論と自己責任論とが交錯するなか、人気漫画からハイデガーやアーレントまで、社会と哲学の両面から読み解く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
129
「親ガチャ」という卑俗な言葉を「哲学」できるのかと訝しがりながら読み始めたが、その試みは成功していると思う。親ガチャ的厭世観を前に、宿命論と自己責任論が対立する。自由意志と責任との関係について、ベネターの反出生主義、スピノザの決定論、ハイデガーの「良心の呼び声」などが吟味された上で、著者は「連帯」という概念に到達する。アーレントの言う「現われの空間」を通じて、許しと約束の力が与えられるというのである。決定論の絶望と自己責任論の冷酷さを超えて、「責任は寛容さを必要とする」という著者の主張に説得力がある。2024/01/29
tamami
59
新潮社のPR誌『波』の1月号に、著者と臨床心理士の東畑開人さんの対談記事が載っていて、興味のままに本書も購入。人生に自由意志はあるか、自己責任論、反出生主義等々、様々な議論が分かり易く展開されていて、自分の日常と行動について考える切っ掛けとなった。若者が「無敵の人」となって社会に破壊をもたらす現状を分析し、ハイデガーやアーレントに依拠して、解決策を模索する。人々が他者に対する想像力を働かせて、対話の場を創出する、他者の声に耳を傾ける、という方法には両手を挙げて賛成したい。一点、66ページ1行目は意味不明。2023/12/28
kuukazoo
19
人生は偶然。どんな親の元に生まれるかで人生が決まってしまうとか今の自分の生き辛さは親のせいという考え(親ガチャ的厭世観)は、現状が辛すぎて自分の力ではどうにもならないという絶望から生じる。そんな人に自己責任論は無力だしむしろ害である。ではどうすればよいのか。貧困や虐待の連鎖を断つために何が必要なのか。自己肯定(自分の生を自分のものとして引き受けること)を育むための対話の空間:居場所の必要性は分かるが、大体いつもそのへんで思考が止まるので読んでみた。簡単に答えの出る問題ではないが示唆はもらえた気がする。2024/02/18
Mc6ρ助
17
正直なんか違うなという感覚が大きい。親ガチャの哲学ったって自己責任ではない=自由意志がないと従来の哲学の命題に落とし込んだだけではないのか(ホントか?)?もちろん親ガチャが指すのは一つだけではないだろうが、憲法や教育基本法で補償されてあるべき教育の機会均等が成り立たなくなっていることについて、裏金deGoな人々だけではなく大学の教員も問題意識を持たないんだ。リタイヤした爺さまなんて投票するしかできないから選挙ではまずは野党共闘候補をまとめてほしい(爺さまには今は共産党よりも自民党の方がはるかに恐ろしい)。2024/06/26
はじめさん
14
最近出てきたネガティブワード・親ガチャ。実家の太さ、両親の思想、知能や肉体の素となる遺伝子でこの世の中で自分が勝ち組となるか負け組となるかがほぼ決まってしまう運命を、自虐的にガチャガチャにたとえ、無理ゲーだと冷笑する夢見る事を諦めた若者たち。人生は一発勝負、自分の気にいるステータスが出るまでリセットマラソンはできない。転生モノが流行するのも通じるか? /来週から、ガンダムSEED劇場版。金持ちは課金して我が子の遺伝子をより良いものにデザインできるが、貧しいものは天然由来のまま。広がる格差と、増幅する怨嗟。2024/01/14