内容説明
「封建遺制」とみられた共同体が、「むらの精神」に寄り添うことで、自然と人間の基層から未来を切り拓く可能性として鮮やかに浮かび上がる。ほかに「市民社会と共同体」を収録。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
31
個人が自立し、自由で個性豊かな生き方ができる社会として、市民社会が語られるようになった(013頁)。この間の観光講演では団塊世代にして東大法学部卒だったから噛みついたけどね。市民社会から、コミュニティ=共同体が輝きをみせる時代へ(014頁)。江戸期の文化は、文をもって明らかにするという意味だった(018頁)。共同体への問いは史的、時代的文脈で語る課題(039頁)。日本のコミュニティは、人間の協力関係をつくりだすという関心にもとづいて進めようとしている活動で、社会組織の模索(094頁)。2016/06/25
さきん
22
自由で自立した人から個性、個人が磨かれるのではなく、コミュニティ、関係性から個性が育まれるという考え。また、そのコミュニティ、共同体はあらゆる関係性を含み、自然も含まれるということ。その自然は人間が働きかける里山が一例。自然を損なえば、個性を育む土壌も損なわれるということ。この考えには大きく同意。しかし、この共同体を作るにあたって著者は、資本主義の論理をはずしたがっているが、自分は、なんとか貨幣が入っても上手く回る仕組みを作りたい。2018/02/11
余田大輝
0
著者に影響されているがゆえなのか、半世紀の歳の差でも同じような社会を見てきたがゆえなのか、コミュニティという言葉に対する私の違和感は次の2点に集約されているように思える。 >コミュニティ=共同体を機能論的に措定しすぎているのではないかと感じている(p.15) >ひとつのものにすべてが結合されている状態という古い共同体のイメージは一掃されなければならない(p.181 ) そう考えるとコミュニティデザインは語義矛盾なんだけど、それでもデザインできる領域は何か考えるということから始まるんだろうな。2021/09/29