内容説明
730年ほど前の戦乱と飢饉の時代に、弟子の唯円が聞き取った親鸞の『歎異抄』。救い、悪、他力の教えに、西田幾多郎、司馬遼太郎、梅原猛、吉本隆明は魅了され、著者も10年近く読み込み好きになった。『歎異抄』は親鸞の『君たちはどう生きるか』なのだ。今の言葉で伝えるみごとな翻訳。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネギっ子gen
57
【アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの「苦海」を渡り、いつかジョウドの岸辺にたどり着く】この10年ほど、熱心に「シンラン」を読んできた小説家が、“ぼくが感じた、ぼくが理解した「親鸞」”のことを書かずにいられなかった本。巻末に、時代年表・『歎異抄』原文。著者は冒頭で、<「親鸞」については、たくさんの人たちが書いてきた。そのどれもが参考になるし、勉強になる。だから、ぼくもそれらをたくさん読んだ。そして、こう思った。でも、そこで書かれているのは、彼らの「親鸞」であって、ぼくの「親鸞」じゃない>と。⇒2025/04/21
おたま
56
作家・高橋源一郎による『歎異抄』の現代語訳。さすが小説家だけあって、具体的な場面と語りを通して、親鸞の言葉を蘇らせている。この中に、阿弥陀仏の教えは親鸞ただ一人を救うために述べられた、あるいは太宰治の小説も読む人一人のために書かれた、かのように思われるとしている。だからこの『歎異抄』は高橋源一郎が読み取ったものとなっている。しかし、それは読者にも個的に語りかけられ、その読者の『歎異抄』を触発するために書かれている。まあ、全ては阿弥陀仏にすがり、全的に身をゆだね、ネンブツさえ唱えれば(もしかすると、⇒2024/01/18
あらたん
52
有名な「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」の歎異抄の超訳。一貫して世界の大きさと翻って人間個人の小ささを説いているように思う。それを理解すれば個々人の善悪の違いなど微々たるものということなのだろう。 「しょせん人間がおかす程度の悪などが、浄土へ行く妨げになることはない。」、「近いからこそいっそう憎しみあうのだ。ほとんど同じだからこそわずかな違いにいらだつのだ。」 グサリとくる。2024/02/24
pirokichi
28
「彼らの」でなく、「ぼくの」、「ぼく」高橋源一郎が理解した「シンランのことば」。「歎異抄を読む前に」「歎異抄(現代語訳)」「宗教ってなんだ(歎異抄を翻訳しながら考えたこと)」「名前を呼ぶこと(あとがきに代えて)」「親鸞の時代年表」「歎異抄(原文)」が収録されている。現代語訳は平易な文章で一瞬わかったような気になるが、内容は奥が深いため、やっぱりむずかしい。ただ親鸞を「フジイくん」と心の中で呼ぶ著者の親鸞との向き合い方、アプローチの仕方は独特で、その仕方で「わたし」も一歩近づけそうな気がした。2024/04/07
ryohjin
22
とても面白く読めました。「注」を使わずくだけた言葉での現代語訳は、「シンラン」と「ユイエン」の想いが強く伝わってきます。原文と合わせ読んで『歎異抄』のイメージに立体感が加わりました。著者が語る部分では、「ひとへに親鸞ひとりがためなりけり」が太宰治への「わたしのために書かれた作品のよう」という感想と比べられて納得、今までひっかかっていたこの部分を受け止めることができました。苦しんでいた「ふつうの人」を救おうとした親鸞の思想を「ネンブツをとなえる」「それだけでいいのだ」といいきった作家の感性に感じ入りました。2024/04/16
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