内容説明
民主主義と自由主義は両立するのか。現代政治学の焦点の一つから、今日的な「政治」の意味が浮かび上がる。すべてが「資本」として流動化していく世界で、いかに資本主義と折り合いをつけ、どのように公共世界と私有財産を構築・維持していくか。これが「リベラルな共和主義」にとっての基本課題である。本書では、考察に必要な概念や論点に、歴史的・理論的な吟味を加える。まずは、フーコーとアレントの理論を足がかりに、そして、経済学、社会学の最新の知見を踏まえながら、実感の伴う政治の理解を目指す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
8
「ルソーは、ホッブズ、ロックとは異なり政治原理としての民主主義をはっりきと択んだが…ロックのそれよりもずっと時代錯誤的な印象を我々に与えてしまう…ルソーの民主国家の規模は、当時既にヨーロッパにおける相場となりつつあった主権国家のそれを下回り、古典古代的な都市国家のそれに等しい…第二に、百歩譲って古典古代のポリスをモデルにすることを許容したとしても、ルソーが好むのは世俗的な商業としてのアテナイよりも、都市というよりも収容所に近い、兵営国家スパルタであって…ホッブズ、ロックの構想とは正反対のものである。」2022/04/03
えぬもり
3
再読。またもや途中リタイア。 前半では、アレントやフーコーを通した「政治(権力)」理解が中心になっている。アレントが提示した公的でも私的でもない領域としての社会を、フーコーの〈統治〉概念に照らして理解するのは新鮮というか、驚きだった。こうした政権力観を獲得した後、話は少しずつ経済学的議論に変容していく。所々に法学的な用語を散りばめながら、私的な領域での取引などについて、政治権力観と照らして議論している。が、ここが読めない分からない。せいぜいフーコーアレントの内容は理解出来たが、これに未知の経済学が入って2019/03/22
バーニング
3
議論は非常に難しいが、『新自由主義の妖怪』を経由するとまだ読みやすいかなと思う。アーレントやフーコーや、あるいはスミスから遠く離れてリベラルな共和主義を構想することの現代的意義とはなにか。経済学の一ジャンルとしての政治経済学とはどのようなものか。そもそも「政治」の範囲はどこからどこまでなのぁ、など。そうかハーバーマスもマルクス主義の枠組みからは逃れられなかったんだな、というのは勉強になった。 https://medium.com/p/7df09b7843112018/11/03
Kai Kajitani
3
この本のレビューをブログに書きました。http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/201708282017/08/27
こややし
2
「経済学という教養」「社会学入門」の政治理論、政治哲学版。リベラルデモクラシーの擁護から、一歩進めて、あり得べき「政治」として、無産者においても、長期的な財産形成を支援するため、(強力な)再分配も行って、万人を有産者市民とする、「リベラルな共和主義」が展望される。アレント、フーコーの使い方やドゥルーズ・ガタリの使い方とその批判を面白く読んだ。しかし、この無産者へのフローだけじゃない、ストック形成にまで及ぶ再分配って、かなり過激で、ある種の「革命」ではないか。稲葉さんからの人民戦線への呼びかけとも読めた。2017/01/30