内容説明
「遅れた東北」観は、どのように生まれ、どう変転を遂げたのか。本書は、史料を博捜して、大正から戦後にかけての、「後進性」脱却と国際化を指向した議論や政策を分析し、文学作品や学術書に描かれた東北像を検証する。戦時体制に組み込まれ、いつしか「異境」から「原境」へとイメージを移行する東北。戦後歴史学の「地域モデル論」が捉えきれなかった東北史のダイナミクスを照射し、日本史像のラディカルな転換をめざす。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
tsubomi
10
2016.09.10-09.14:大正から戦後までの東北の社会情勢を史料を使ってまとめたもの。日本が国家総動員で戦争へ突き進んでいく過程で東北がいかにそれに対処し、価値観を変容させたのかという流れがわかりやすいです。戦争中に恐ろしいまでに自信過剰に愛郷心を爆発させた東北。戦争の前後では反対に飢饉と貧困で萎縮して卑屈になっている印象。自己認識の危機に陥ってマイナス思考ループに入っている感じ。今の私たちは逆にエミシの末裔であるのを誇りとし、バイリンガルであることに優越感を持っている程だから興味深い内容でした。2016/09/14
本命@ふまにたす
3
主に近代日本における東北の捉えられ方について論じた一冊。昭和戦前期を中心に、知識人の言説や活動などについて取り上げ論じられている。その意味で、射程はやや限定的か。2023/02/19
Jムーン
1
大正から昭和の1920〜1930年代の東北、といっても青森県の人による「アイヌ史」についての認識がたびたび書かれ、「アイヌ史の自覚」があったようなことが述べられているが、本当にそんな自覚があったのだろうか?その自覚すら、そう思わされていただけではなかろうか?『続・東北』を読んでも、東北にアイヌの歴史があったような具体的な指摘はない。2019/02/01
てれまこし
0
「日本」の異境であり辺境である「東北」。本書では、さらに柳田国男流の「原境」イメージがとりあげられる。つまり、東北にこそ日本本来の姿があるという見方である。「日本人ならみーんな同じ」というフラット化された日本人像になれた今の我々だから、かつて東北人を理不尽に悩ませた偏見に外国人にように接することができる。でも、福島原発でも沖縄基地問題でも明らかになったように、知らないことは偏見から自由であるということでもないらしい。サベツは忘却によってしか解消しないと柳田は言ったが、忘れるだけでもダメらしい。2017/10/10
miharasi_mamiya
0
大正から戦後にかけての資料に基づいて東北がどう語られていたか。大量の資料が引用されていて驚いた。東北の米の凶作について農業政策の問題が原因であったことなどが興味深かった。2011/10/25




