内容説明
2014年、世界遺産に登録された富岡製糸場は、明治5年以来、115年もの間生糸を作り続けました。生糸は横浜から輸出され、日本の近代化を支えました。繭から糸を繰る技術は自動車など他の産業に生かされ、生糸を運ぶために鉄道網も発達するなど、養蚕・製糸業は現在の生活とも深い関わりがあります。富岡製糸場は単なる建物ではなく、近代日本の姿を見せてくれる博物館のようなものなのです。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
やま
90
官営の富岡製糸場は、1872年(明治5年)に群馬県富岡に設立された、当時世界最高の設備を誇る日本初の本格的な機械製糸工場です。その詳細を、解りやすく多くの写真で描いたものです。最大の輸出品である生糸の品質向上と近代化のために富岡製糸場を設立し、そこから横浜まで生糸を運ぶために鉄道を引きます。そして富岡製糸場がモデルとなり全国に製糸場が作られ、富岡製糸場の工女が指導に当たります。明治期、全ては生糸から始まり、生糸が中心として回っていたのです。その基礎を作ったのがこの富岡製糸場です。🌿①➁へ続く→2021/11/09
☆よいこ
87
知識の本。読み聞かせ15分(細かい説明は省く)明治時代から、日本の産業機械技術と鉄道交通の発展は生糸を軸にして進んだ。富岡製糸場は生糸づくりの模範工場だった。▽富岡製糸場の歴史がよくわかりました。2022/07/08
とよぽん
57
明治5年(1872年)から昭和62年(1987年)までの115年間、富岡製糸場は先頭ランナーとして日本の近代を築いた製糸場だ。機械技術の発展も、鉄道交通の発達も、生糸を軸に進んできたと。木骨レンガ造り、という方法でフランス人指導者のもと、日本の大工さんが建てた建物群は美しくすっきりとしている。100メートルを超える長い建物が柱を使わずに造られているのに驚いた。木骨レンガ造りが、その後の東京駅などの歴史的建造物につながっているという。まさに、遺産だ。2021/06/01
ちえ
47
日本で昔から個々の農家で作られていた生糸。明治時代に質の良い生糸を輸出するため国策で作られた富岡製糸場。建物は当時のヨーロッパの製糸場の倍の大きさがあったという。最初は輸入された自動操糸機、機織り機なども国産で作られるようになり、日産、ホンダなど自動車技術とともに発展してきた。建物、機械などの写真が素晴らしく(機械ってこんなに美しい)と思った。ヨーロッパの先進的な働き方を取り入れた富岡製糸場に各地から若い女性が女工として働きに来て、覚えては地元に戻り操糸技術を伝えた。↓続く2021/07/31
ヒラP@ehon.gohon
31
富岡製糸場のことがよく理解できました。2021/07/09
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