内容説明
津田塾大学の礎を築き、日本における女子英語教育の先駆者である津田梅子は、アメリカ留学中に生物学を専攻し、将来を嘱望された優秀な研究者であったことはあまり知られていない。帰国後なぜ生物学者への道を歩まなかったのか、歩めなかったのか。科学とジェンダーの視点から梅子とその時代を描き出す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
57
黒田清隆は就学児童にとっての母親の家庭における影響を重視し、賢母養成のための女子教育・家庭教育の重要性を訴えた。ヴィクトリア時代のアメリカの家庭観を反映。森有礼初め、明治の啓蒙家が共有していたという(16-17頁)。新5千円札肖像になる予定だが、円という通貨単位が2年後、続いているか? 私は疑っていて、日銀の看板も変わるか? などと予想している。近代化日本のジェンダー平等、今のSDGs令和日本でも男女共同参画のあり方が問われ続けている気がしてならない。長野県知事選では女性候補が居ない。不満である。2022/08/04
にいたけ
38
5000円札になった津田梅子女史。6歳で渡米し11年を過ごす。日本女子の教育向上のために尽くしたことは有名だが24歳で再度アメリカの大学で生物学を学んでいた事をこの本で学んだ。生物学は当時の最先端であり、そのまま研究を続ければ世界的に価値ある研究もできたようだ。彼女はその道を断ち、日本の女子教育に身を捧げた。彼女をつき動かしたものは何か?日本での業績より海外の研究に焦点を当てた良書。2025/06/02
さくら咲く
17
伝記のつもりで手に取ってみたが「学術書」であった。津田梅子ばかりで無くそれを囲む人々の学問への道筋、主に留学の経緯などこと細やかに著されている。梅子が立ち上げた女子英学塾が津田塾大学に至るまでの歩み、同時期に専門学校から女子大へまたは共学大学へと進む他校の変遷など興味深かった。また女子英学塾時代の生徒にはその後、名を馳せる人物もおり何名かの名前が目に止まった。膨大な資料を元に記された現代日本の女子教育の礎を作った人々の記録。感服です。2022/05/06
Ryoichi Ito
11
1871年五人の少女が岩倉使節団とともに米国に向かった。五人の少女のうちの一人が津田梅子(七歳)だった。梅子は米国で小学校,私立女学校を卒業し,1882年に帰国した。華族女学校で教えた後,1889年7月に再び渡米,ブリンマー大学に入学し,生物学を専攻した。三年次にはトーマス・モーガンの指導の下にカエルの発生に関する研究を行った。1894年の論文は日本人女性として外国の学術誌に載った最初の自然科学論文だ。なぜ彼女が科学者の道を諦め,女子教育に生涯を捧げたかが本書のテーマだ。多くの人にぜひ読んでほしい。 2022/11/11
Humbaba
2
いくら能力があったとしても、環境によってはそれを活かすことはできない。選択肢が広くある状況であれば別の環境を選択するという方法がとれるが、そもそもそれらの選択肢も最初から存在しているわけではない。選択肢が兄から諦めるというのが最も多くとられがちな方法だし、それは当たり前のことでもある。しかし、そうではなくて自分で新しい選択肢を作ろうと行動するからこそ、大きな流れが生まれることもある。2024/10/19
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