内容説明
老齢の身ながら,遠くインド・セイロンにわけ入り,27か国もの仏跡を14年にわたって巡歴した中国の高僧法顕。その旅の記録は,最古の西域旅行記としてつとに名高い。宋雲の北インド旅行記を併載する。
感想・レビュー
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zoros
9
『法顕は昔長安にいて、律蔵の欠けていることを嘆いていた。そこでついに弘始元年(西暦399年)に慧恵らと約束して、天竺に行き、戒律を求めることにした』 いきなりこう始まる。このとき法顕推定64歳。タクラマカン砂漠をこえ、パミール高原をこえて15年。共に旅立った友は留まり、亡くなりして、経典を携えてたった一人で帰ってくる。 玄奘より100年前のもの。河口慧海の旅行記もそうだが求法旅記っていうのは志の高さが作品にでていて本当に泣けるなあ。2019/04/09
Nemorální lid
5
『沙河中はしばしば悪鬼、熱風が現われ、これに遇えばみな死んで、一人も無事な者はない。空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。見渡すかぎり行路を求めようとしても拠り所がなく、ただ死人の枯骨を標識とするだけである』(p.9)という一文は流沙紀行の名文とされている。法顕の書物が西域求法僧における適切な手引書として愛用されただけでなく、『すぐれた紀行文学としても高い価値を有している』(解 p.227)のである。また宋雲行紀も収録されており、古代西域を知る上においては第一級の書物であることは全く変わりないだろう。2018/12/31
ヤベ
1
仏典が中国国内に欠けていることを憂い原典を求めてインドまで行った法顕の旅行記。旅は西域〜インド各地の仏教国の領主に保護されながらのものであり保護の薄い国からは早期に立ち去っているのが面白い。地勢をベースにした人の流れを宗教が加速させる現象はパミール高原を東西に結ぶルートにも発生していたことを改めて確認した。現在でもそれは宗教が仏教からイスラム教に変わった上で途絶えていないことと思われる。新疆ウイグル自治区、中央アジアの国々、アフガン、パキスタン、インドの地勢上の関係を整理できたのもよかった。2025/05/29