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内容説明
論語はすなわち儒教のことである――このことは、日本人の多くにとっての「常識」であろう。ところが、実はそうではない。子供のころ、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接した著者は、学生時代に儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱く。のちに中国思想史の分析を重ねた果てに著者がたどり着いた答えは、なんと「論語は儒教ではない」というものだった。すなわち、『論語』がわれわれの人生にとって有意義な「善」の書であるのに対し、朱子学と礼教を含めた「儒教」は結局、政治権力の正当化と人間性の抑圧を本領とする「悪の教学」であり、両者はまったく別物であるというのである。この論語と儒教イデオロギーとの差が、日本人と、中国人・韓国人の道徳格差にもつながっていると著者は見る。最終章では、孔子の言葉を紹介し、『論語』の活かし方にも触れる。『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』を改題。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
るい
2
私はもともと「論語」と「儒教」は異なるものだと思っていたが、筆者の述べようとすることがどういうことなのかよくわかった。昔の風習は、今考えると残虐で悍ましいものが多い。その辺の印象が強かった。2022/08/12
Go Extreme
1
私の『論語』体験と私が見た「儒教の残酷さ」:デュルケームと「礼の用は和を貴しとせず」 論語と儒教は全く別々 定説や通念を覆す―孔子とは何者か『論語』とは何か: 波乱万丈の孔子の生涯 人生の達人の融通無碍の境地 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子: 王道と礼治 古き良き時代の政治理念の悪用 朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇: 心の救済への渇望と仏教の勢力拡大朱子学・性即離説 朱子学を捨て、『論語』に「愛」を求めた日本: 論語との矛盾に気付いた伊藤仁斎 『論語』はこう読もう: 君子不器 自分の信ずる道を歩む2022/07/17