内容説明
「宗教の極致は禅である」と説く鈴木大拙の初期の代表作。哲学と禅、キリスト教と禅との比較、悟りに至る公案の意義、座禅の作法など、具体的な例を挙げながら禅とは何かを解き明かす。
(※本書は2011/8/11に発売し、2022/05/17に電子化をいたしました)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
テツ
29
禅を知るにはただひたすら座るしかない。きっとそれが真実なのだとは思うけれど、禅的なモノの見方や世界観(というと語弊があるんだろうな)には、自分の抱える悩みへの一筋の救いの光が見える気がした。世界はそのまま存在する。僕が泣こうが喚こうがそのまま存在する。でもその世界は僕が消そうと思ったのなら、僕が存在を認めなければ、瞬く間に消え去るくらいに儚いものでもある。世界は貴重で大切で、そして同時に儚くどうでもいい。それを識り世界を会得する僕自身ですらどうでもいい。全てが消え去り、ここには何が残るのか。2019/03/25
1.3manen
24
初版1914年。底本1963年。J.S.ミルの実例(20頁~)。万巻の書を読破して未曽有の研究を遂げ、名声四海にとどろき世の人みな仰ぎ尊ぶがいかにも愉快。(略)されどほんとうの満足となすを得ず(23頁)。読書に限界も認め、他の生き方、手法もあることを忘れてはならないようだ。ワーズワースは詩よりして禅に入れるものなり、彼が格調には一種清新の気あり、これを読めば彼がいかに深く自然を解し、心性の秘機に触れたるかを知るべし(43頁~)。発動の機(エ・モーション、44頁)。 2014/07/10
roughfractus02
8
英語教師が禅者になる。1914年に刊行された文語体の本書を読むと、散文にないリズムに英語と共通する韻文的なパターンが見出せる。思考のパターンは、時に論理を構築し、時に感覚を示唆つつリズムを刻む。自己の本性を見極める「見性」は「死して死せず、生まれて生まれず、見えて見えず、聞こえて聞こえず、動きて動かず…」と肯定否定が繰り返され、両者の間にその本性を仄めかす。10年以上の米国滞在の後に文語で書かれた本書を読むと、東西思想を比較しつつ自ら「見性」の人となる一禅者の思考パターンが、身体でリズムを刻むかのようだ。2021/02/15
たかぴ
2
久々の文語体に馴染めず途中で落伍。いずれ再読しよう。2025/09/20
鯨、或は山田
2
底本は1914年、44歳の著作である。気迫のある筆致で、読み易くはないが禅というものに輪郭を与えようとする内容であった。学術的なところとは距離を置いて、神秘性を詳らかにしていこうとする本だった。この本が2011年に再刊された意味が、重要なのであろう。2013/10/06
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