内容説明
中国文学の巨匠が描く〈現代の神話〉
山深い農村が千年に一度の大日照りに襲われた。村人たちは干ばつから逃れるため、村を捨てて出ていく。73歳の「先じい」は、自分の畑に一本だけ芽を出したトウモロコシを守るため、村に残る決意をする。一緒に残ったのは、目のつぶれた一匹の犬「メナシ」。メナシは雨乞いの生贄として縛り上げられ、太陽の光にさらされ、目が見えなくなってしまったのだ。
わずかなトウモロコシの粒をめぐり、ネズミとの争奪戦の日々が続く。やがて井戸も枯れ果て、水を求めて谷間に赴くと、池でオオカミの群れと出くわし、にらみ合う……。
もはやこれまでか……先じいが最後に選んだ驚くべき手段とは?
ネズミやオオカミとの生存競争、先じいとメナシとの心温まるやりとりを中心に、物語は起伏に富む。意外な結末を迎えるが、受け継がれる命に希望が見出され、安らかな余韻を残す。作家は村上春樹に続いてアジアで二人目となる、フランツ・カフカ賞を受賞し、ノーベル文学賞の次期候補と目される中国の巨匠。本書は魯迅文学賞をはじめ、中国国内で多数の栄誉に輝いている。また数多くの外国語に翻訳され、フランスでは学生のための推薦図書に選定されている。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
NAO
65
日照りの年、1本のとうもろこしの苗を守るため一人村に残った老人。過酷な生活に、老人は怒りこそすれ逃げも諦めもしない。残るという自らの選択に、最後まで希望を見続ける。そして、自分はもうだめだと悟ったあとも、村人たちが再び戻って来たときのことを思う。太陽の光が重さとなってのしかかる、など神話的な表現が、乾ききった世界を独特のものにしている。それは貧しい農村の風景であると同時に、中国の精神世界の寓意のようでもある。7粒残ったとうもろこし。次の年そのとうもろこしを植え村に残った7人の若者。希望はまだ繋がっている。2023/01/30
小太郎
32
話題になってる中国の作家閻連科さん、これが初読みです。136ページの小編ですがかなり読み応えのある内容でした。中国の山奥の村は大旱魃で村人は逃散して残ったのは目の見えない犬「メナシ」と73才の先じいだけでした。先じいは一本だけ芽を出したトウモロコシを守る為に必死に奮闘します。話としてはこれだけなんです。単純な話ですがエピソードや主題、出てくる物に色々なメタファーを感じさせ多様な読みかたが出来るのだと思います。ある意味現代の神話といえるような骨太の作品であると思います。2022/10/03
Takashi Takeuchi
19
かつて無い大日照りにみまわれ村人全員が逃げ出す中ただ一人村に残った老人と盲目の犬。土地も人も焼き尽くす太陽の下、一縷の希望があるとはいえ過酷なサヴァイヴする農夫の気骨は何だ。死と対峙した怖しい場面が続きながら、不思議に寓話を読んでいるような懐かしさや美しさを感じるのは文章の力か。時々殴る、蹴るの先時代的な関わりや盲目になった理由にギョッとするものの、老人と犬の交流は切なく温かく泣かされる。「潰れた目から涙がポロポロこぼれた」なんて書かれた日には。2022/09/21
ROOM 237
12
孤独なおじいと犬が織りなす地獄の果ての寓話。守るものがあるのは生きがいである、それが執着へと変化するのは身の周りの環境次第か?今満たされているか?深淵で己と向き合う時間を強いられる恐ろしいストーリー展開。作物と身体には水が必要不可欠で片方が絶えたら共倒れという関係性、富豪は置いといて貧村で暮らす人々はどう捉えるのか興味深い。犬を目が見えない設定にした意図を考えるには、私は中国という国をまだまだ知らなすぎる。2023/10/30
アトレーユ
11
作物も育たないほどの干ばつの中で村に残った一人と一匹と、干からびた土地でなぜか健やかに瑞々しく育つトウモロコシ一本。もちろん、自分が食べるために(生きるために)育てているのだが、この一本の生長が生命の象徴であり、生き延びられる指標のようであり、心の拠り所になっている。極限の状況でも生きようとする人間の力強さ、この作者の作品を読むといつも感じる。人間の根源を描いているのにその文章に説教臭さが全くなくて、ただただ土着の、土の匂いがする。やっぱ、好きだわー。2023/01/12