内容説明
原点『蜻蛉日記』の中に僅か数十行しか記述はされていない町の小路の女〈冴野〉は、学問も名もない下賤の女ながら己れのすべてを男に与えて消え失せた、妖しい女であった。室生犀星は『日記』の書き手紫苑の上以上にこの女を愛し、犀星自身の消息を知らぬ生母ハルの身の上に重ねて物語り、限りない女性思慕の小説とした。川端康成をして、当時、“言語表現の妖魔”と迄言わしめた野間文芸賞受賞の名篇。
(※本書は1992/10/1に発売し、2022/3/10に電子化をいたしました)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
はなあぶ
6
久しぶりに段ボール箱から取りだした。いつしか表紙も色あせていた。今、改めて頁をめくると、最初は流麗な文章がサラサラと流れていくが、昔、何度も目で追った箇所に差し掛かると、やはり胸が疼いた。心情を、どのように描くかは、いろいろなやり方があると思うが、犀星の描き方は、ただ見えないものを見えるように描くというだけでなく、対象を美しく見せるように、光と影の加減まで配慮して描いているように感じられる。作家の筆が、人の心情を写すカメラだとすると、犀星のそれは、一眼レフカメラだと思う。2014/05/23
石川さん
3
道綱母は「蜻蛉日記」を書くことで、彼女の思いを後世まで残したけれど、ライバル(視もされていない)の「町の小路の女」の思いは跡形もなく消えてしまったのかどうか。がテーマ。記録に残らない人の思いも、かつては確実に存在したということを描きたかったんだと思う。作者が「町の小路の女」贔屓っていうのももちろんあるけれども、時間の持つ残酷さへの抗議というのもあると思う。2013/10/11
きりぱい
3
素晴らしい・・ずっと昔、作者名とセットで憶えたきりの「蜻蛉日記」に、こんな純愛の側面があったことを知らしめると同時に、原典からすくい出し、美しい言葉運びの抒情あふれる物語に仕立てた犀星に感嘆させられる。男なんて勝手!少年の心にも限度がある!と思いつつも、切ないまでの思慕をまざまざと見せられて、ついほろりときてしまう。女心はというと、犀星路線の優しい目線と礼賛が潜むのはもとより、描き分けが見事で、あぶりだされた女心にまたもやひれ伏す思い。不意な心の動きを何気ない言葉で表すのが本当にうまい。2009/07/17
Yuki KH
1
4章まで魅了された。5章以降、女を知ることが叶わなかった男の戯言になる。戯言でいいじゃないと言われる方もいるかもしれない。ただ、女の立場からする、これは許されない。今の時代にはなおさら。 以下ネタバレ。 妾の冴野は男子を産む。その男子が死んでしまう。死児を抱いて、彼女は愛人の正妻の元に向かい、正妻の息子を愛でて帰ってくる。そして愛人に、「あなたの子であるゆえに、死んだ子は奥様の子供の中に生きている」と言う。 Fuc○ Off!この無知は悪質だ。2025/07/23
なめこ
0
男と女の想いのやりとりを、恋とか愛とか好きとかを使わずに表現する、名文集。兼家は、まぁー男に都合のいいことしか言わない。女たちはそれぞれパターン化され、いかにも正妻らしく嫉妬とプライドの権化となる時姫と、知性が高すぎて容貌にも現れる紫苑の上、女らしさとよばれるものを全て体現する理想像である冴野、幼く優越感を抱かせるあたらし野の姫。たとえ別れても今までの寵愛を思い返すことで生きていける、という冴野の姿勢は、憧れるけど恐ろしくて真似できない。2014/03/29




