内容説明
キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。
対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。
死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは。
歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
金吾
28
○死や老いに対しての対談です。曽野さんの考えは理解しきれていないですが、そうありたいというエキスがつまっているように感じました。他の本も読んで、彼女の考えに触れてみたいと思います。2024/03/21
ジャンズ
8
個性が尖がっている二人の対談、興味深くページを開きました。石原氏も考え方は正反対と言っている。其々相手のことをきちんと聞きながら自分の姿勢を崩さない。曽野さんが好きでたくさんの本から学んでいるので、彼女の言葉の方が留まってしまう。「死」というものは特別なものではなく、日常のつながりの中にあるものと考えれば自分が逝くのも、大切な人が逝くのも自然な形で受け入れられるような気がした2023/04/01
かずぺん
7
曾野綾子さんのお姉さんぶりに感服です。人生を達観されている感じがとても安心して読めました。それに比べて石原慎太郎はいつまでたっても中学二年生です。これはこれで良い人生だなと思います。満足です。2022/03/18
そうげん(sougen)
7
外出先でふらっと入った書店に平置きされてあったことから気になり購入に踏み切りました。少し前に石原さんが逝去され、次には同じく作家の西村賢太さんも亡くなられた。人は死ぬまで生き続ける存在で、死んだらそこでどうなるのか。死学というものが立ちあげられるならそこではどんな事柄が学ばれ、検討されていくんだろう。石原さんと曽根さん。二人が自身の人生を振り返りながら、死をめぐって交わされた対談であります。福永武彦さんの『草の花』を読み返したい話や、江藤淳の自殺にまつわる稀有な運命について語られた箇所に関心をもちました。2022/03/11
Nakamura Yuji
5
石原慎太郎氏の1周忌にあたり、書店にあったこの本を手にとった。対談相手は曽野綾子さんである。彼女のほうが1歳お姉さんの1931年生まれであるが、同時代を生きた二人の死に向けた考え方を興味深く読んだ。カトリックの曽根さん、法華経を信仰する石原氏であるが、80代後半になるとある種の達観に至ることが理解できた。二人ともに世間的には恵まれた人生を送ってきたと思われるが、ジタバタせずにその時を迎えることの大切さを学んだような気がする。2023/02/04