内容説明
再建の日を待つ唯一無二の大聖堂
2019年4月15日の宵、著者はパリのアパルトマンから築850年の大聖堂が に包まれるのを目撃する。火災を伝える写真や映像はメディアを通してたちまち拡散し、世界中の人々の心を激しく揺さぶった。
ここにひとつの疑問が浮上する。ノートルダムはなぜ、フランスという国家を象徴する存在となりえたのか。その答えを求めて、著者は大聖堂の歴史に刻まれた決定的瞬間に目を向ける。礎石の置かれた1163年に遡り、当初の建設を取り仕切った司教と大聖堂を設計した無名の建築家たちの物語から第一章が始まる。続く章では、アンリ四世のカトリックへの改宗、フランス革命、ナポレオンの戴冠式など、国家と王家にとってノートルダムの重要性が増していく歴史的経緯が語られる。
ヴィクトル・ユゴーの小説が保存修復への機運を高め、ヴィオレ=ル=デュクの画期的な修復工事とオースマンによる改造計画を経て、1944年のパリ解放の日、ノートルダムはふたたび歴史の重要な舞台となる。フランスの栄光と苦悩を見つめてきたノートルダムの物語は、そこに集い、献身的に携わり、未曽有の危機から救おうとする市民たちの物語でもある。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kthyk
16
12世紀後半の建設。フランス革命による恐怖政治の中、オルガニストは聖歌に変え革命歌を奏し建物を守る。19世紀の七月革命の中、ユーゴは執筆。小説の破格の成功により、崩れかかった建物を修復、保存を目的とする国家機関の設置。19世紀末、建築家ヴィオレ・ル・デュクは中世の壮麗さを取り戻す。20世紀のパリ解放の中、ド・ゴールは200万の喝采の浴びシャンゼリゼを歩き終え、大聖堂に立ち寄りミサに参列。狙撃手による数発の銃弾を浴びせられるが、彼は胸を張って歩き続け、身廊を抜け内陣へ向かう。そして現在、再建はまだ炎の中か?2023/02/22
スプリント
7
火災に見舞われたノートルダム。 その歴史と火災から復興しようとする現状について知ることができました。2021/07/04
渓流
3
フランスの魂と筆者がおもうノートルダムに纏わる歴史と尖塔が燃え落ち再生中の現在のありようを蘊蓄を鼻にかけて書いた評論。学術書ではないのだから引用文を鍵付きで挿入するのはやめてもう少し砕けた言い回しで語るとよいのにね。天国の世界を無知蒙昧な民衆に理解させようと小難しい教義ではなく、薔薇窓のステンドグラスを作って諭したようにもう少し易しい言い回し(易しくないのは訳文のせいかな)で書いてくれたら聖母マリアにささげられたノートルダムももっと喜ぶだろうに。それにしても博識ですなぁ。流石最高学府出の著者だけはある。2021/05/16
Go Extreme
2
2019年4月15日―火災の夜 1163年―礎石 1594年と1638年―ブルボン王朝 1789年―理性、最高存在、そしてワイン 1804年―ナポレオンの戴冠式 1831年―ヴィトル・ユゴーの小説はいかにしてノートルダムを救ったか 1844年―ヴィオレ=ル=デュク 1865年―オースマンがシテ島を「すっきり片づける」 1944年―ド・ゴール将軍とパリ解放 2013年―ノートルダムの鐘 2019年―ノートルダムの再建をめぐる争い2021/04/19
cocomero
2
2019年4月15日火災にみまわれた、パリのノートル=ダム大聖堂について、この初期ゴシックを代表する建築が歴史的にどのように位置づけられてきたのか、ジャーナリスティックな観点から考察される。ゴシックつまりフランス式建築の始まりを告げるサン=ドニ修道院教会堂など、王室ご用達の王政建築に対して、自由の女神よろしく、民主主義的な体制をよしとする国家フランスの建築として台頭し定着していく様が示される。権力との癒着もさることながら、宗教よりも自民族的アイデンティティの拠り所として浮上してくる様相は恐ろしくもある。2021/04/08