内容説明
なぜ臨床場面に民族誌(エスノグラフィー)が必要なのか? 著者は文化精神医学や医療人類学の方法論を精神科の日々の臨床にいかに蘇生させるかということを,ライフワークにしてきた。本論集はその集大成ともいうべき労作である。
かつてA・クラインマンは,台湾をフィールドとする著作のなかで,憑依状態で治療にあたる現地の童ケイ(タンキー)を,癒しにおいて間違いなく西洋医にまさるものと結論づけた。ここで作動しているローカルな知を現代医療において生かす方法は何かと著者は問う。現代精神医療の変容(「大きな物語の終焉」),物語論の始原へと遡るジャネの心的治療論,民俗学への架橋,そして医療自身のもつ文化をたどりながら,読者は対話場面で偶発的に溢れるように語りだされる患者や家族の「もう一つの物語」を聴くことになるだろう。
精神療法は文化とどこで出会うのか? 心的治療の多様性とは? 臨床民族誌という方法を理論にとどまらず身体技法として身につけるにはどうしたらよいか?……本書(本論集)はこれらを模索する試みである。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
pentaxxx
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基本は「治療文化」論であり、ナラティブ・アプローチの本でもある。バフチンや「余白」についての言及もあり、非常に参考になる。部分的には再読が必要か。2021/03/07
文狸
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訳者なだけあって、クラインマン、グッド(+マッティングリー)あたりの、解釈学的なアプローチをとる臨床人類学についての知見が非常によくまとまっている。(論集の宿命なので仕方がないとは言え)同じ内容の繰り返しが多いのが難点だが、「「大きな物語の終焉」以降の精神医学・医療の現在」「病いは物語りである」「病いの経験を聴く」「病いの経験とエスノグラフィー」の4つくらいを読めば、上述の分野の概要を掴むのに持ってこいだと思う。2020/09/29
煮
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言葉と思索とが乖離してはならない,言葉をこころのアリバイにしてはならない2022/09/05
S.E.
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バチバチの医師による、人文的なお話をじっくり聞いた気分になれる。2021/10/05
Red-sky
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なんとか最後のページまで辿り着けた。年明けにある講演会までに一回は目を通そうと慌てて読んだので、また時間を空けて再読したい。精神科医療においては、西洋医学より現地のお祈りや憑依での治療が一定の回復をもたらしているなど、その地の生活やその人のライフヒストリーが治療の糸口となっている。医学の一領域でありながら、先生が関西での臨床に苦労し、地理の本が参考書となっていたなど他領域では考えられないことなんだろうなぁ。改めて不思議な領域であることを考えさせられた。2019/12/31