内容説明
今、僕は自分自身と完全に一つになったような気がする。
それ以上の平安がどこにあるだろうか。
それが鳥であり、猫であり、虫じゃないか。
地に足をつけるとは、このことを言うのではないか。
土に聞くまでもない。僕が土になったのだから――。
有明海を望み、雲仙岳を見晴らし、故郷の河内につながる熊本の地で、師匠ヒダカさんの背中を見ながら畑を始めた。
日々畑に足を運び、成長する野菜たちと向き合うこと。
それは生まれてこのかた、土から遠く離されていたことに気づき、生命を取り戻していく過程そのものだった。
作ること、変化することをめぐる冒険。
作家、建築家、絵描き、音楽家などの多彩な顔を持ち、いずれの活動も国内外で高く評価される坂口恭平は、
自身の双極性障害(躁鬱病)体験から取り組む「いのっちの電話」相談員としても知られる。
ニューヨークタイムズ一面にインタビューが掲載されるなど、
その多岐にわたる活動が海外からも注目を集めている作家が、
「土になる」ことや近隣との交流、猫との触れ合いを通して、生きることを究めてゆく――。
『0円ハウス』(河出文庫)、『独立国家のつくり方』(講談社現代新書)、熊日出版文化賞受賞の『幻年時代』(幻冬舎文庫)に連なる著者の到達点。
ヘンリー・ソロー『森の生活』、現代版誕生!!
土になった坂口恭平の目玉を借りて、
僕らは日頃見えないものを目の当たりにするのだ
――土井善晴(料理研究家)
装画・口絵(16ページ) 坂口恭平
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ふじさん
86
躁鬱病を患う僕は、有明海を望み、雲仙岳を見晴らし、故郷の河内につながる熊本の地で、野菜作りの師匠ヒダカの指導の下で野菜作りを始めた。毎日畑に足を運び、成長する野菜たちと向かい合うことで、生きる力と身体と心の落ち着きを取り戻して行く。そこには、畑との土台となる土との出会いと野良猫ノラジョーンズとの強い繋がりがあった。日記形式の語りだが、日々の生活が克明に描かれ、それに伴う 主人公の心の変容が分かり、まさに心に染みる。作ることや変化することで成し遂げられた人間再生の物語。悩める現代人へのエールとも言える作品。2024/06/03
harass
70
レビュで気になり読み出す。贔屓の作家であるがついていけないこともあり、追うことがサボりがちであったがやはりすごいとしか言いようのないものを書くことに驚く。やはり天才か。躁鬱病の苦しみを逃れるためもあり、畑を借りて野菜を植えだす著者がその日々を描く。正直自分には畑はあっても農作業を長年見てきたのもあり、億劫な労働でしかないと考えていたが、彼の目からはそれ以上のなにかであった。言葉を超えたものに触れる彼は、それは詩人という人種だった。新たな価値を生み出す人種だ。自分に言い聞かせている言葉が読者の胸を打つ。2022/11/21
こばまり
52
あとがきの最後の2行にグッときた。最後の最後で涙した。これは活動報告でありラブレターなのだとこの期に及んで気付いた。そして現在、筆者と畑はどんな関係にあるのか。終わっていてもいいと思った。サボりながらもまだ続いているのをTwitterで知りうれしくなった。2022/03/09
J D
43
坂口恭平さんの日常が綴られている日記のようなエッセイ。畑仕事を通じて、鬱から解放されて行く。ノラ猫ノラジョーンズとの交流の描き方がいい。読んでいて、坂口さんの「生」に対する向き合い方が痛い。もっともっと気楽に行こうと言いたくなるようなエッセイだった。2022/07/06
小太郎
42
この本はジャケ買いなんだけど大当たり。坂口恭平さんの本は初めてでした。躁鬱に悩んでいた坂口さんが畑で作物を作ることで癒されていく様子が日記のように綴られていました。感性の塊みたい人なのでかなりナーバスな所で苦しんでいたんだろうというのが行間から読み取れました。土に触れることや野良猫ノラジョーンズ(良い名前)との交流、パステル画を描くこと、文章を書くことなどで段々精神的に立ち直る過程をこういう文章に出来るのかと感心。最初と最後のパステル画も素晴らしい、特にノラジョーンズとの自画像が。2022/03/04