内容説明
▼『井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』第三弾。
何かが「ある」、しかし、それは「何なのか」。存在と本質をめぐる哲学上最大の問いに挑み、イスラームの〈存在一性論〉哲学と、ギリシャ・スコラ哲学、ハイデガーやサルトルら現代実存主義といった西洋哲学との接点を探りつつ、イスラーム形而上学の深淵を世界に知らしめた一冊。
もとは講演として発表された四つの論文を平明、忠実に翻訳。
文献学的精密さと比較哲学的な方法論により、イスラーム形而上学を分析する世界的名著、待望の邦訳。
目次
序
Ⅰ イスラームにおける形而上学的思考の基本構造
Ⅱ 東西の存在主義
Ⅲ ワフダト・ウジュード(wa?dat al-wuj d)の分析
東洋哲学のメタ哲学に向けて
Ⅳ サブザワーリー形而上学の根本構造
第一章 サブザワーリー形而上学の意義
第二章 存在の観念と存在の実在性
第三章 存在の概念
第四章 エッセンティアとエクシステンティアの区別
第五章 存在は何性に先立つ
第六章 存在は偶有か
第七章 存在の実在構造
解 説
監訳者あとがき
参考文献
索 引
感想・レビュー
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roughfractus02
7
鏡はそのつど違う表情の自分を映すが自分は一人である。現象は多だが存在は一であり、一は多の一部でなく多を包含しているのだ。同様に、この世界がバラバラで偶然に満ちているのは感性を通した仮現だからであり、感性を超えた超越的な観点からすると、その存在は一つである。本書は、スペインに生まれた中世のイスラーム哲学者イブン・アラビーの存在一性論を中心に、19世紀のザブザワーリーの本質(何性)に対する存在の根源性に関する議論を検討し、プロティノスやヴェーダーンタ哲学を含めた世界哲学が、存在一性論を示す多であると指摘する。2021/02/01