内容説明
近・現代をいかに超えるか? 著者の代表的エッセイ――〈前近代的なものを否定的な媒介として近代を超える〉……著者の生涯を貫ぬいて実践された主題に添って書かれた「柳田国男について」は、柳田国男の現代的な再発見を促がし、フォークロアや口承文芸、〈近代〉から排除されたB級文化話芸などが、教養主義的価値観から解放され陽の目を見た。活字中心の価値観に、根柢的改変を迫った、衝撃的エッセイ。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
わたなべよしお
13
学生時代、多くの教授たちの本棚にあった花田清輝。だから名前だけは知っていて、いつか読んでみたいなぁ、と思っていた。感想?同時代に読んでみたかった。闊達な批判精神とまわりくどいが魅力的な論理構成は実に刺激的だ。だが、プロレタリア文学の話をひとつとっても今の僕らにとっては遠い昔になってしまった。2024/06/19
mstr_kk
3
だんだん頭が花田清輝にチューニングされてきました。ひたすら面白い。「つねに創造の場に立っている芸術家にとっては、娯楽などというものはない。芸術家の手によって創造されたものを、享受する側にだけ、芸術が娯楽としてうつるのだ」。2024/08/27
げんがっきそ
0
初期のエッセイに比べると、花田清輝はずいぶんと角のとれた人物になったのではないか。さて話は変わるが、彼の主張は一貫して「右いっぱいにハンドルを切ったその際に、左にハンドルを切った要素も導き出せる」というような同時性の場所を探す作業とでもいおうか、彼はそれをアヴァンギャルドと呼んだ、と解釈している。狭い分野に閉じこもっているだけでは、その芸術は発想できないというのが彼の主張ではないか?「近代の超克」を達成する方法は、まさしく花田清輝のいうように分野をまたぐことで見つけことができるのではないかと思う。2021/05/02
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