内容説明
言葉による映像美の頂点。鮮やかな記憶の破片、重なるあの日の心情――遠いどこかの街で父親が入院し、母は私と弟を、懇意の美容院に預けて旅立つ。50年代のどこか、夏から秋にかけての数日間を、女ばかりが暮らすその家で過ごす私は、漠然とした不安に発熱する。おびただしい噂話、錯綜する記憶、懐かしい物が織りなす重層的な映像(イマージュ)。時間と感覚を縦横に描く繊細にして強靭な長編。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
rinakko
15
素晴らしい読み応え。『秘密の花園』を繰り返し読んだ頃の古びた記憶が不意に呼び起こされ、ゆさぶられ、一体“いつ”に連れて行かれるのだろう…と幾度も目眩した。主にキッチュな懐かしい昭和ならではの色使い(チュールのリボンにチロリアン・テープ!)が、其処彼処に溢れんばかりに描き込まれ、いつしかそれらは、うねうねととぐろを巻くような文章の効果と相俟って大きなマーブル模様をなしていく。包み込まれて切なく見蕩れた。“女の人がいっぱい出てくる”、商店街の美容院で過ごした少女の時間。2016/01/29
あ げ こ
14
子どもは結構、覚えている。子どもは結構、見ているし、聞いているし、目にすれば、耳にすればそれこそ、闇雲に、わからなくても無意識に、何でもかんでも吸収してしまう。大人達のする噂話も、内緒話も。子どもは結構、覚えている。その際の雰囲気であるとか、様子。匂いや色や、形、手触り、癖や特徴、表情や印象や感じ。それこそ何でもかんでも、子ども時分は吸収していたなあと思う。そう言った、自分がかつて闇雲に吸収してしまっていたもの達の事を、よく思い出す。そうやって取捨選択もせずに吸収してしまっていた時分の事を、よく思い出す。2018/02/11
あ げ こ
13
それこそ何度読んでも、読み始めるたびなんて面白いんだろう、と思う。膨大な細部、例えば住居や店や街並みと言ったものの作りや調度品、家具や道具や消耗品や嗜好品や、或いはその素材や色合いや形や匂いや肌触り、光や風や水気や、服装や髪型や仕草や言葉遣いや遊び方、流れる音楽やそここにあって読んだり見聞きしたり魅了されたりもする本及び雑誌、映画、などの、常に具体的で暮しの内にあって細かで豊富な、それ自体が最早魅惑となるような事態さえ起こり得る、細部によって、緻密に、繊細に、甘美なまでに過剰に描写され続ける、その膨大な、2022/01/14
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10
耳にした目にした物語、あるときの感触や愛着を、思い出す、「いや、そうではなく、思い出すのではなく、それを虚しく生きてみる」(249ページ)。無数の言葉がざわめきあい、断片は混じりあっていく、それを語るものはもう確固たる主体ではありえず、だからここにあるのは感傷ではない。はじまりも終わりもない言葉の流れのなかで、もう一度生きてみること、それは読むことであり書くことだ。2017/11/16
あ げ こ
8
まるで記憶の中にあるその時間を再び生きようとするかのように、自らが感じていたすべてを、言葉にして現す。緻密に再現された時間は、曖昧なまま、時にちぐはぐなままで、並べられる。いくつもの情景が重なり合うその編み目は複雑で細かくて、殊の外強靭。よくはわからないのだが、それが不穏を秘めたものであることだけ何となく察知していた、沢山の噂話。子どもの頃、心と身体は何もかもを吸収しようと貪欲で、余計なことも、大切なことも、見境なく覚えてしまう。絡まった記憶の雑多感、理解とは違う残り方をした感覚の、その余韻が好ましい。2014/06/22