内容説明
インフルエンザの流行下、幾度目かの入院。雛の節句にあった厄災の記憶。改元の初夏、山で危ない道を渡った若かりし日が甦る。梅雨さなか、次兄の訃報に去来する亡き母と父。そして術後の30年前と同じく並木路をめぐった数日後、またも病院のベッドにいた。未完の「遺稿」収録。現代日本文学をはるかに照らす作家、最後の小説集。
感想・レビュー
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yumiha
46
亡くなる前年の短篇4つ。小説というよりエッセイのように感じた。特に「遺稿」の章は、古井睿子氏の「夫・古井由吉の最後の日々」(『古井由吉-文学の奇蹟』)を思い出した。死の前々日になって、『新潮』に掲載予定の未完の原稿30枚(清書済み)を睿子氏に託したいきさつである。きっとご自分の死を覚悟されておられたのであろう。あと10枚を書けないけれども、物書きとしてのスジをできるだけ通されたのだ。他3篇も、老病や生死のあやうさについて書かれているが、昔の老人に比べて、自らの分をわきまえさせられている、という一文が痛い。2022/02/02
アナクマ
34
遺作集のうち短編「雛の春」死の前年、入退院の身辺記を軸に浮かぶあれこれ。夜中の病床に届くつぶやき、廊下に佇む車椅子。一夜八億。冬枯れの切手。出立前に見まわす家の中。遊び仕事。雪の金沢の、雛のような女の貌。◉「内向の世代」という古い呼称もむべなるかな、現実と現実の接する境目に、スッと何かがこちらを覗く。こちらもまた覗きかえす。その心象の異界を、読点多めの鎮かな長文で供します。読んでる私も、記憶の澱を少しかき回す。◉雑記と断ずるにはさすがの文学ぶりで、80才を過ぎてなお純文学の文芸誌から仕事を求められる、と。2020/12/06
タピオカ
22
今年2月に逝った古井由吉さんの4編を収めた最後の短編集。2019年の立春から晩秋へ移りゆく季節を背景に、病を抱える老人が身辺のリアルな雑事を淡々と語る。どんな心持ちなのか寄り添いたい気持ちで読むと記憶や思索が織りなす見知らぬ場所を知る。母のこと、「父祖の地」西美濃を襲った水害に思いをはせるところが心に残った。2020/11/12
びっぐすとん
19
図書館本。初読み作家さん。新聞書評見て。読み終わって後悔した。古井由吉について全く知らず、新聞で見て何となく興味を感じて最初に読んだのが、よりにもよって遺稿とは。親兄弟が全て彼岸へと旅立った老齢の本人も既に半分向こう岸を見ている。この透明感は老齢の特徴なのか、著者の特徴なのかがわからない。もっと若い頃の作品から読んだ後にこの本に辿り着きたかった。内容は病院と昔話ばかりなのに透き通った温かさがある。清潔な空気感はまるで病院の空気のようだが、過ぎ去った時間が遠くではなく寄り添うようなのが印象的だった。2020/11/21
ソングライン
17
2019年の2月から10月、入退院を繰り返す日常がつづられる遺稿作品です。若き日の山歩きで遭遇したがけ崩れの危険、娘たちの雛飾りの行方、待ち合わせの場所と反対へ歩いてしまった失敗、房総半島を襲った台風、そして体調不良による10月の入院。平穏と長生の幸せと老病死への恨みの希薄化、そんな現代を最後まで書き続けていく作者に感謝です。2021/06/07