内容説明
二つの国と二つの言語。夭逝した芥川賞作家の内面の葛藤を描く長篇小説――若くして亡くなった、在日韓国人女性作家。日本で生まれ育ち、韓国人の血にわだかまりつつも、日本人化している自分へのいらだちとコンプレックス。母国に留学し直面した、その国の理想と現実への想い。芥川賞作家の女の「生理」の時間の過程を熱く語る長篇と、「私にとっての母国と日本」という1990年にソウルで、元原稿は直接韓国語で書かれた講演を収録。
◎アイデンティティを追求した李良枝の私小説は、「目に見えない」心のミステリーを解明しようとした鮮烈なテキストなのである。日本から、見知らぬ「母国」へやってきた「刻」の主人公は、だから、母語ではない母国語の文字の前で落ち着きを失う。その「私」の1日においては、だから、一刻一刻、親近感と距離感の間で心のゆらぎを覚えて、最終的には選ぶことができないのだろう。<リービ英雄「解説」より>
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
lendormin
2
今ここ、今ここ、今ここの連続ではない時間は意識に従って非線形的に、あの絵からこの絵へ、この絵からあの絵へ、絵或いは風景、形、匂い、音、声、意識の能う限り色々なところを行き来する。そのためあの私、この私、その私、複数の私がいて、私が私を見つめたり、睨んだり、話しかけたり、宥めたりする、この小説の「私」にはすごく親近感があり、現実の生身の人間を感じさせるものがあった。2020/10/16
アメヲトコ
2
「在日」を主題にした二篇。84年発表の表題作は、生理の「刻」を軸に一人の在日女性の葛藤を描いたもので、自意識と劣等感の過剰さに読んでいてやや息苦しさを覚えました。その点、90年の講演録である「私にとっての母国と日本」はそこからの精神的成長と新たな境地を感じさせます。それだけに、そのわずか2年後に著者の人生に突然の終止符が打たれてしまったのは残念。2016/01/05
AR読書記録
1
うーん、すごく“女”が前面に出ててなぁ。なんここう、色々とことん突き詰める、囚われるひとなんだなあと思う。国籍、アイデンティティ的な問題ではそこを突き抜けて“普遍的”なものへ向かっていると思うんだけと、“女”についてはそこに籠り、都合よく利用している面があるように感じてしまって、いまいち消化しづらい。フェミってことじゃないけどマッチョな文学の鏡像みたいな。2014/07/31
リトルリバー@中四国読メの会参加中
1
在日韓国人であって、芥川賞作家でもあった李良枝さんの中編小説。受賞作の「ユヒ」の衝撃が大きくて、それに比べると本作は少し期待外れだった。解説を読めばこの作品が意欲作だとわかるけれど、小説としていまいち完成しきれていない感じがする。それよりは同じく収録されている「私にとっての母国と日本」という著者の講演会の原稿の方が読みごたえがあった。なにはともあれ、自身のアイデンティティを問い詰めていく私小説的なスタイルやヒリヒリするほどに生々しく描かれる人の姿、その早すぎた死も含めてどこか太宰治を連想する。2014/06/28
条
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日本語の小説としては、久々にすごすぎて言葉にならなかった小説。2010/06/13